さあ、9月入りとなって夏の暑さとはいよいよおさらばできると喜んでいられる方もいらっしゃるかと思いますが、そのように季節の流れを早く早くと所望するのはちょっとばかし首を傾げたくなりますね。
折角いただいた人生にもかかわらず、「早く過ぎてしまえ」などと暴言を吐いているも同然のことですよ。
もったいないですね。夏の暑さも冬の寒さも転じて嫌なことも嬉しい事もこれすべて「いっしょくた」が人生ですからね。
暑いだ寒いだ言っているうちが花。
この夏という時間は否が応でも過ぎていきますが私の命の終焉が早まる事と同じです。
何度も登場させていますが基本は一休さんの
「門松は 冥途の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」
暑いとはいえ早く時間が過ぎろなどとは到底思えませんし「もう9月か・・・」の焦燥と無念のような感情に襲われています。
そのうえ今私の頭を混乱させているのが台風21号の存在。
昨日も土蔵から出したガラクタを整理しましたが、まだまだ片づけ切れていません。
また土蔵の戸をハンマーでこじ開けていますので閉めることができません。これは風雨の吹き込みへの対応不可で苦しいところです。
もう少し時間が欲しいのですが、とうとう昨夕には雷雨がありました。もう「どうにでもなれ」ですが本日午前中勝負で片づけと植物植木鉢の避難を完了させたいものです。
ちなみに今度の台風21号は「猛烈」ですよ。
一時的に905hpまで発達するといいますがもしやそれほどの台風に直撃されることになれば拙寺の屋根などは吹っ飛んでしまうでしょう。ハッキリいってヤバイ。「くわばらくわばら」でこれから対策準備の雑務が増えることになります。
準備はお早めに・・・高をくくってればヤラれます。
さて、思い出したように「蕉園渉筆」から。
タイトルは「咸陽瓦硯」(かんようの「がけん」)
「相良板俊卿家秘蔵咸陽瓦硯、父祖傳来云、色紫黒堅如石、長六寸餘、廣居参分長之二、厚称之、併匣華人所製、余未一見咸陽瓦、則不知其真贋如何俊卿索拙作不已、賦七習一章」
瓦硯とは陶製の硯のこと。石の硯が登場する以前はこの陶製のものが主体でした。ということでその品物は歴史の古さというものを感じますし、お宝的価値は十分、書画家ともなればそういた品を使用したいという気持ちになるのはもっともなこと。
「相良の板俊卿家は咸陽の瓦硯を秘蔵す、父祖が傳え来たりと云う、色は紫黒く石の如く堅い、長さは六寸餘、廣さは長さの参分之二に居る、厚さは之に称う、併し匣は華人が製する所、余は未だ咸陽瓦を一見せず、則ち其の真贋如何を知らず、俊卿は拙作を索めて已まず、七習一章を賦み之を畀える」
この真贋不明の咸陽瓦硯を秘蔵しているというのが「板倉呂仙」ですね。代官蕉園と呂仙との親交は拙寺同様近隣であったため厚かったと思われます。
舞鶴殿①境内で寛ぐの図②門前で警戒するの図。
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