日本の昔話で「笠地蔵」がありますがそちらは特にお馴染み。
子供の頃それを聞かされて自分にはできそうもない発想であったため、酷く残念な自分を思ったものです。
「善い行いをすればきっといいこと(救い)ある」という道徳観を子供達に伝えるに最適な教材でしたね。
各演出はあるようですが笠職人のおじいさんが雪の降る中、並んだ地蔵たちに「こりゃあ寒かろう」とそれぞれの地蔵に笠を掛けてあげます。最後の地蔵の分が足りなくなったところ、自身の首に巻いた手拭いを巻いて「これでなんとか」と帰ったというもの。
そもそも夫婦は年を越すことができないほどの極貧。
夫婦で笠を作りおじいさんがそれを町に売り歩きに向かったものの一つも売れずに帰宅するところだったということ。
帰宅してカネも笠も持っていないおじいさんに向っておばぁさんの言った言葉が「それはいいことをした」とおじいさんを褒めたというのが凄い。
笠地蔵のおばあさんかそれとも舌切り雀のそれか?
やはりそれは世相が作るのでしょうね。
さて、当牧之原市の坂部の地には「石憧六地蔵」があります。
六面石憧の各面に六体の地蔵が肉彫りされたものですが、これは如何にも効率的。
通常六地蔵といえば六体の地蔵が並ぶ図がオーソドックスなカタチです。その六体の地蔵を1本の石柱に面を取って(ここでは六面)「六地蔵」とするもの。
石仏六体分が1本の「石憧」に収められるのです。
当然に笠地蔵のような場合でも笠は一つでOK。
現在は樹脂製の覆堂に囲われていますが、これは風雨による劣化崩壊が著しいということの苦肉の策ですね。
どちらの面も「地蔵」の姿を想像できないくらいに崩壊が進んでいます。
私の想像ですがあと10年程度でバラバラに崩れるような気がしてなりません。石質によりますが、あの手はあっという間に砂になりますね。
どれもこれもみんな土に還るのですからそれに抗うということにムリがあるというものですが。
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小山昭治 (金曜日, 31 8月 2018 10:14)
文化財も国宝もいずれは滅びて無くなります。
それが自然のならい。
でも出来る限り保存したいものですね。
無理をしない程度ですね。
その程度が難しい。何でも「程度」が難しい。
昔話にはジジババばかりで若い衆はどこへ行ったのか。
いまでいう「出稼ぎ」か。
いやいや いいことをしても報われないことも。
報われることを期待しては「布施」ではないか。
今井一光 (金曜日, 31 8月 2018 11:50)
ありがとうございます。
見返りを期待した施しというものはないですからね。
それは一方通行の直線的でなくてはいけないのですが
とかく損得勘定と自己の安楽を求めてしまいがちにいる私どもは
人間本来の心の部分が曖昧になっているようです。