台風とは空気の塊であるのですべてが気まぐれであるといってしまえばそれでおしまいなのですが、そのきまぐれは時として人の人生というものを狂わすという現実に恐怖しています。
「何もそんな日に海岸に向かわなくてもいいのに・・・」とため息が出たのは久能山の麓の駿河湾で行方不明になっている静大の3人のこと。
肝試し程度の余興だったのか怖いもの見たさなのか、それとも何の気なしなのかその心中は図れませんが、私ども大人から見れば「何という短慮を」としか言いようがありませんね。
厳しい言葉は吐きようもありませんがすべての人が無念と予想しうる結末を待つその状況はガッカリなことです。
県内では優秀な学生が集まるその大学ですが、海の怖さや、命そのものの危うさについては学んでこなかったのか・・・と思うところ。
残念至極。
さて「無念・残念」は生きている人間の心ではありますが、亡き人のそれらを生きている者が「現出」させたそのイメージが「幽霊」でした。
私の幽霊のイメージは父親が揃えた図巻の幽霊画と怪談そして祖父の話す真顔の幽霊話でした。
特に友達が集まった際には皆に見せて「コレが幽霊だ」風に吹聴したものでした。
それらは子供心にかなりの衝撃を与え、私など夜間独りでトイレに行くことの苦痛を味わったものです。
今のように水洗トイレではありませんからね。
夜トイレに行くのも「命がけ」のイメージがありました。
世の中には怖いものが蠢いていた時代でした。
そういう意味でも今の子供達の周囲には畏怖恐怖というものは少なくなったのでしょうね。
本当は「怖いもの知らず」ほど怖いものはないのですが。
昨日記した谷中の三崎坂、全生庵では現在幽霊画展が開催されています(8月1日~8月31日まで)。
私が参ったその日は外気温36℃でしたのでそのクールな空間は絶好の涼みの場となったことは当然です。
昔懐かしいおどろおどろしい幽霊たちがお出迎えしてくれましたが、私は幽霊の口が裂けて、目をむいたお岩さんチックのもの、怒りによる鬼のような形相または血がしたたった着衣の、いかにもいかにも・・・という幽霊よりもぽんやり系構図の日本美人で足の無いタイプが好みの幽霊画です。
何もない部屋にあの軸が下がっている景色を想像すればそれはそれはイカします。
①は明治三十九年三遊亭圓朝の七回忌にあわせて鰭崎英朋(ひれさきえいほう)が製作したもの。彼の描くキレイな女性たちはどちらも「生」を感じます。
蚊帳の中の行燈で照らされた白い着物の立ち姿は幽霊には思えませんね。
②は幽霊画では著名な円山応挙作といわれる「返魂香之図(はんごんこうのず)」。さわやかなふっくら美人です。
返魂香とはその香を焚くとその煙の中に死者の姿が浮かび上がるという中国の故事から。勿論架空のお香です。
どちらもサイトからキャプチャーしました。
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小山昭治 (土曜日, 25 8月 2018 09:11)
私の印象に残る幽霊画は御前崎のお寺にある掛け軸の絵です。
円山応挙とはいいますが、どうなんでしょうね。
足下が薄くなってぼかしてあり、目つきが怖かった。
真贋をしなくてもいいと思います。
人間一つや二つは怖いもの、弱いものを持たなくっちゃ。
こちとらは弱いもの、怖いものだらけ。
矢でも鉄砲でも持ってこい。どうせ失うものは大したことなし。
今井一光 (土曜日, 25 8月 2018 14:46)
ありがとうございます。
御前崎のお寺にもそういった軸があるのですね。
円山応挙はそのスジでは特に名があって幽霊画即応挙の名が出てきます。
しかし幽霊画というカテゴリーは今一つで大抵は坊さんの趣味の域を出ませんね。
面白いところなのですがやはり一般のお宅には「ちょっと・・・」と言う方が多いよう。
私は怖いものといえば饅頭その他無数にありますが幽霊と言うものに関してはまったく恐怖を感じません。