「三崎坂」(さんさきざか)の全生庵 谷中といえば怪談 

昨日の湿気と体感温度は本年一番の過酷を思いました。

台風の直撃は避けられたものの、午前の法事は「先方宅の御内佛→墓地→本堂本法要」の通常逆バージョンでしたが、比較的早い時間帯に雨が降り出してやきもきさせられました。

予報では午後からということでしたので・・・

本堂内は酷い湿気と温度でじっとしているだけで汗が出るほどでまさにサウナ風呂状態。

おかげさまで「お腹からの発声」にイイ汗をかかせていただきました。

 

出がけにある方の来訪があって刀を一本預かることになりました。以前から「それではどうぞ」と了承していたものですがその方が仰るにはその刀は「人を斬った」代物であり要は「気持ち的に今一つ・・・」ということもあってまた売却等のお話があるようで先方さんの希望があったのか、取り敢えず拙寺で預かって何とかして欲しいということでした。

 

その方の本意としてはそれに次いで除霊済のお札を発行をして欲しいということでした。私はその効用の有無はともかくとして、「阿弥陀さんの尊前に奉り経典を読誦することはできる」ということで承ることにしたのでした。

そもそも真宗の教えに「霊」の存在などありえませんが・・・

「お札」について問えば「お勤めをした旨」を一筆記してくれればイイとのことでした。

 

刀剣世界ではやはり「人を斬った」伝承のあるものは忌わしさを伴ってしまうのでしょうね。

尤も刀剣は道具として「人斬り包丁」ですからその件についてはそう驚くことではないのですが・・・。

日本刀は大事に扱われれば何かを斬ったとしても通常は手入れがなされるもの。

刃こぼれ等が出ますので砥ぎ職人に手入れを依頼します。よってどんどん擦り減るもの。

刀工にもよりますが刀の「厚み」は結構に評価の着眼点で尚且つ手入れの行き届いた古い美術品レベルのものに価値があると聞いています。

 

さて、先日は今年のお盆シーズンの終わりにさらっと東京方面をブラつきました。

特に東京の墓場といえば谷中。

その谷中といえば三遊亭圓朝の幽霊噺。

昨日の夕刊にはたまたま「圓朝ゆかりの谷中周辺」と特集が組まれていました。

ちなみにその人は落語世界の大御所ですが、「今の日本語」創始として評価される二葉亭四迷の言文一致文体の「浮雲」は圓朝の落語口演筆記を参考にしているといいます。

 

その圓朝といえば山岡鉄舟を禅の師匠と仰いだこととしても著名です。

圓朝は8月11日が命日となりますが、その日を中心に鉄舟の建てた全生庵(場所はこちら)のある三崎坂(さんさきざか)辺りでは毎年「圓朝まつり」が開催されています。

 

私は「さんさき」=「三崎」の字面には違和感を覚えましたが標識にはこうありました。

『三崎(さんさき)」という地名の由来には諸説あるが、駒込・田端・谷中の三つの高台にちなむといわれる。安永二年(1773)の「江戸志」によると、三崎坂の別名を「首ふり坂」といい、30年ほど以前、この坂の近所に首を振る僧侶がいたことにちなむという。』(台東区教育委員会)

 

神奈川生まれの私は「三崎」といえば「みさき」ですね。

そういう意味で地区のアピールは大事でしょう、「さんさき」という平仮名書きが目立ちました。

 

圓朝の「怪談牡丹灯籠」の幽霊の彼女の住まいの設定が三崎坂でした。

なるほどこちらはたくさんのお寺と墓地が連なるエリアです。

坂の上には広大な谷中の墓地がありますね。

そのどちらかの墓地から夜な夜な出てきて彼女は浪人「萩原新三郎」のもとに通ったのでした。

幽霊であることに気づいた新三郎は幽霊除けに坊さんにお札を発行してもらって部屋の外に貼っていましたね。

 

この辺りの墓場放浪は余程腰を据えて歩かないとダメ。

あっという間に時間が経過して日が暮れてしまいます。

ちなみに最寄りの駅は日暮里。