役人とはこういうものだとの「鑑」としての評価が高かった小島蕉園については拙ブログでも何度か記しています。
不満としては相良になかなかその人を顕彰していこうという雰囲気が出てこないところですね。
まぁ今のところは「田沼300年」の流れは致し方ないのですが。
旧相良在住の皆さんにアンケートをしてみたいくらいですが、その人物「小島蕉園」はほとんど忘れ去られているような気が・・・。子供達に至っては100%に近いでしょうね。
私も高校時代にそれを知る由もありませんでしたから。
地元相良での小中学校あたりからのその遺徳を紹介していかなくてはならないでしょう。地元の偉人の中、ベストともいえる人ですからね。
今風の紹介冊子でも市の方で用意していただければありがたいものです。
「悪代官」が勇名を馳せた時代にあって特筆すべき善政をとり惜しまれて亡くなった方でした。
蕉園が記した「蕉園渉筆」は蕉園が相良波津の官舎に入ってからの相良付近の事象について蕉園自身の感じた通りのものを記したものですが、時として厳しい評価も散見されてニヤニヤとさせられました。
以前その蕉園渉筆の中で拙寺についての記述を紹介しましたが
今度の蔵出し(昨日はこちら)一掴みの中、蕉園の記したもので軸装されたものが出てきました。
酷い虫食いでしたが奇跡的に書の記された部分は確認できますのでまたまた感動させられた次第。
今後軸の補修に「どれだけ出費がかかるのだ」と奥方が不安がっていました。おそらく腹の中では「棄てちまえ」であることくらいは薄々察しています。
内容は「蕉園渉筆の大澤寺」の追記版で相良史料館の「大澤寺八景の書」にてもわかりますが拙寺住職との親密さをうかがうことができます。
いうまでもなく拙寺のお宝で、今回の発見は嬉しいかぎりですが、それにしてもあの酷い有様を見て、父と祖父に向って「もう少し何とかならないものか・・・」とその無頓着に呆れているところです。
まぁ「蔵の中にはお宝は何も残っていない」という情報を伝えてきてくれたおかげで残ったのでしょう。
もっとも一般の骨董収集家からすれば大した「お宝」ではないでしょうね。
あくまでも「拙寺にとっての」史料的価値です。
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小山昭治 (火曜日, 21 8月 2018 08:56)
こりゃあ ひどい。
修復にはいくら必要なのか見積もり価格が無いと前に進みませんね。
いまじゃ クラウドファンディングもあるし、
それから考えること。
修復しなければ現状をとどめるにはどうしたらいいのか。
それも大事です。
今井一光 (火曜日, 21 8月 2018 12:17)
ありがとうございます。
優先順位をつけてこつこつと言うところでしょうか。
ざっと100以上は出てきていますが、これは修繕したいと思うもので10程度あります。
以前からあるもので手を加えたいものがありますので1年に1つとしてそれだけで20年はかかりそうです。
判読不能のバラバラの文書もありますが、最初から無かったものと考えると気がラクなのですが。棄てるワケにもいかず・・・。