相良繍(さがらぬい)の現物 刺繍釈迦如来説法図

早朝の一瞬足元に感じたヒンヤリ感はやはり台風が海を掻き混ぜたせいなのでしょうか。私には「秋」が感じられました。

それでも日が昇ればこの数日前、何事もなかったようにクマゼミはいつもの勢いで鳴いていて多からず墓参にやってくる方はただ「暑い 暑い」と。

 

最近は午前はのんびり庭仕事というのが定番になっていて、お昼のチャイムが鳴るころに終了、あとは昼寝に雑用という日課です。こんな暑い中・・・という声にニヤニヤしながらその言葉には頷いていますが寺の仕事は青い空の下の方が都合がいいものです。そもそも雨が降れば外仕事はできませんし、風が吹けば木に登れない。考えてみれば周囲には「やらない理由」だらけです。人間はやらないでいい理由を探すのが上手。特に私は法事・来客など事務的な用事がありますので。

もっともこの時期の法事は外仕事以上に体力勝負と思うようになりました。

 

そこへきて気候変動の状況下「熱中症の危険」などいう語が重宝され世の外仕事に従事する人たちの管理者(現場を仕切る人)は難しい舵取りを強いられるでしょうね。

 

究極の熱中症予防は木陰で昼寝することですが気ばかり使って休ませていたら仕事になりませんね。

まぁ「健康第一の職場」ではまったく仕事と両立しないダブルスタンダードとなります。

以前の職場の真夏の現場で自称自衛隊あがりの若者が熱中症になってぶっ倒れたのを見ましたが、他者の体調を推すのは難しいということを知りました。

倒れられても困ってしまいます。

 

墓地法面上の木を伐採中にあまりにも鋸が切れなくなったため刃を交換しようと庫裏に戻れば先日も来ていた小学校6年の可愛らしい女子たちが5名が再訪。夏の研究課題として拙寺を選んでくれた様子でした。

あの時は本堂で多少の時間をお付き合いさせていただきましたがその追加の質問があったのこと。

 

先日AFNで「SWEET CHILD O' MINE」という曲を久しぶりに聞きその後ユーチューブでも何度か。

青い空の下、少女たちの笑顔の中にいて調子づいてお話をすることがいかに楽しいことか・・・

すると一人の女子が今にも倒れそうになって目がうつろに。

軽い熱中症のようでした。会館の玄関で休んでもらって事なきを得ましたが、その一部始終を見ていた奥方が「炎天下で話が長い!!」とお叱りを頂戴しました。ただ質問に応えていただけなのですが。

 

質問が難しすぎるのでつい反応の言葉が長くなってしまいます。

ちなみに①「本堂」について②「阿弥陀仏」について③「旗差し」についてでした。

仏とその教えの基本は「仲良く喧嘩しない・・・平和」というところを織り交ぜて・・・奥方と息子にはその3つについて端的に説明できますか・・・って反論。

 

反省点、もっと涼しい場所でのんびりとわかりやすい説明を心掛けねば・・・次の来訪を楽しみにしています(奥方は今回の件でもう来ないよ・・・とは言っていましたが)。

 

さて「いとのみほとけ」展にて今一つこの目で確認したかったのが相良繍(さがらぬい)の現物、奈良国立博物館所蔵の「刺繍釈迦如来説法図」でした。

 

そもそも相良に住まわれている方でその「相良繍」なる技法をどれだけの方がご存知なのかわかりませんが(勿論私もお恥ずかしながら知ったのはつい近頃です)、この技法は古くからあって

「日本刺繍の技法の一種。玉繍,いぼ繍,こぶ繍ともいう。

糸を布の裏から表へ通し,そこで結び玉をつくって再び裏へ返し,刺し進める。この結び玉を連ね,あるいは集合させて文様をつくる。」とあります。

まぁ語源については地名の相良とは関わりが遠いようですが、相良人としてこの「相良繍」の代表的作品「刺繍釈迦如来説法図」を「見ていない」のは「寒い」と思ったのでした。

この釈迦説法図はかなりの大作で縦211㎝横160.4㎝の大きさ。

製作年代としては奈良時代もしくは8世紀の唐といいます。

渡来品ということも考えられるところですね。

 

作品は全体的な手法として鎖縫い(チェーンステッチ)というオーソドックスな刺繍が施されていますが、釈迦の螺髪や菩薩の宝冠などに糸に団子結びを作る「相良繍」を用いています。

また釈迦の頭上の糸の暖色の配色グラデーションは見事です。

 

当作品は過去の修理による間違いと痛みについての補修修繕を平成24~27年の間に行っていますので見事な出来栄えを拝することができました。「痛み」の原因は虫食いと線香穴だったそうですが、拙寺のお軸にもそれと同様にみられるところでローソクなども付いています。

実際に堂内で御本尊の如く崇敬を集めていたことが思えます。

 

「相良の女子」にちなみ、先日沖縄慰霊の日に「平和の詩 いきる」を朗読した中学生の女の子「相良倫子(さがらりんこ)」

さんという書生さんがいました。

私どもも沖縄に滞留していましたがその苗字「相良」には初めてで驚きました。

 

その朗読の上手と内容の立派さ健気さに感動しさらに詩の中の

「今」の連発と特に「今を一緒に」に「ドキっ」とさせられたわけですがその「いきる」は当流の「慶讃法要」のテーマでもありますのでここにそれを「私も忘れまじ」ということもありまして全文を転記させていただきます。

 

相良倫子氏 「いきる」

 

「私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。私は今、生きている。私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道、/萌(も)え出(い)づる山の緑、/優しい三線(さんしん)の響き、/照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。私はこの瞬間を、生きている。この瞬間の素晴らしさが/この瞬間の愛(いと)おしさが/今と言う安らぎとなり/私の中に広がりゆく。たまらなく込み上げるこの気持ちを/どう表現しよう。/大切な今よ/かけがえのない今よ私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、/私の愛する島が、死の島と化したあの日。/小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草の匂いは死臭で濁り、/光り輝いていた海の水面(みなも)は、/戦艦で埋め尽くされた。/火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、/燃えつくされた民家、火薬の匂い。/着弾に揺れる大地。血に染まった海。/魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如(ごと)く、姿を変えた人々。/阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。/彼らの人生を、それぞれの未来を。/疑うことなく、思い描いていたんだ。/家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。/仕事があった。生きがいがあった。/日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。/壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想(おも)いを馳(は)せて、/心から、誓う。

 

私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/この島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなくて、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/真の平和を発進しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。