古代刺繍を見に行く 奈良国立再訪 いとのみほとけ 

逆走台風12号は九州南部に停滞といいます。

自然世界、そのようなコースを辿る台風などありえないというのが教科書通り。その真逆の事が起こるというのはまさに地球の自然環境がぶっ壊れている証拠。

 

ぶっ壊したのは我々人間。よってその自然に人々が苦しめられるということは因果応報なのか・・・

シミュレーションによれば数十年後の夏の気温は40℃超えは普通になるといいますので、その数字は人間に向かって「いい加減気がつけよ」とも聞こえてきます。

 

昨日は仕入れた桜を植えてざっと剪定と本堂前から駐車場までの掃除。

まだまだ墓地内までは手が届かず片付けは要継続。

植物も生き物ですからねぇ、この夏いよいよ繁茂の様子です、伐採もしていかなくては・・・。

 

先日の奈良弾丸日帰りツアーの目的は以前ブログでも記していましたが奈良国立博物館での「いとのみほとけ」展でした。

展示全体、無理してでも行って良かったと納得することができましたが各展示物の中で3点ほど主に目指したものがありました。

それが

1に聖徳太子の「天寿国繍帳-(上宮聖徳法王帝説)」

2に當麻寺曼荼羅の修復完成後のお初とリメイク

3に相良繍(さがらぬい)の現物

です。

1は高校時代に日本史の教科書にてその存在について教わっていたものの実物を拝見する機会はありませんでした。

2の曼荼羅は5月に行った當麻寺本堂のうす暗い中(ただでさえ目を凝らしても判別できなさそう)、少々消化不良になりましたのでその解消(ただしその本質に辿り着いていません)。

また天寿国繍帳の「天寿」とは極楽浄土世界でしょうがいかにもイイ言葉。

當麻曼荼羅は観無量寿経物語で、ともに阿弥陀浄土に関わるものですね。

3の相良繍に関しては特に感動させられました。

 

「天寿国繍帳」は推古天皇が聖徳太子の奥方「橘大郎女」(たちばなおおいらつめ)の願い(聖徳太子讃嘆)を受けて作った「帷」(とばり)の残欠のこと。

621年の12月に太子の母親の「間人皇后」が亡くなった翌年の春2月に太子が亡くなって「橘大郎女」が嘆き悲しみ、「太子の往生の様子をみたい」と発願したそう。

 

もとは✖4文字で400文字、百の亀が記されていたといいます。

著名な亀の図の4文字「部間人公」の銘文は「間人皇后」を指しています。

展示物は「残欠」刺繍ではありましたが、デザイン的に十分に面白く、「どなたか既にパクッテるかも・・・」と思わせるなど斬新性に富んでいました。

 

⑤は修復された當麻寺曼荼羅の阿弥陀さん部分のアップ。

あの明るい展示室であっても目を凝らすばかりでした。

⑥は再現もの。コレを見てようやく構成がわかりました。