先日の奈良日帰りツアーはレンタカー。
ナビ操作不慣れにつき「こんなところで降りるの~」の疑心暗鬼で名阪国道無料区間「山添」から右折しました。
以前奈良中心部からその国道に入った際はあきらかに違うルートでしたから。
まぁ家に帰ってルート復習してみればわかるだろうの楽観だけでナビの言う通りに走っていましたが、距離的には最短ルートでした。
ただし山路主体でその名阪国道を走り続けるのが通常の(現在の)おすすめの道でしょう。
ところがしばらく走ってそのルートがベストであったと確信したのでした。通行車両の少ない長閑な山路で案外と走りやすいのです。
何より、地名でいえば奈良県山辺郡山添村大塩なる部落通過中、視界に「見覚えのある輪郭」が飛び込んできました。
「静体視力」なる私の造語を以前記したことがありますが、奥方もそこに停車した際、この暑いのに寄り道したことに呆れて半ばやれやれでその語を発していました。
これは私の自慢の得意技と日ごろ口に出して人を煙にまいています。
もっとも奈良県内の山中には石仏多しのイメージがありますので「のんびり走りますよ」と皆さんに告知済でした。
ガードレールの切れ目にそのカタチが確認できたのですが、御親切に駐車帯まで備わっていたためオーバーランしたのをバックしてスペースに停車して、とりあえず私だけ降りて御対面。
すると私の残像としてあった五輪塔のシルエットの通りその石塔は間違いなく存在しました。
感動して見やると阿弥陀さんの立像がその隣に。
摩崖仏でした。奈良県内には摩崖仏は多いのは分かっていましたがこのように簡単に阿弥陀さんのお迎えを戴いて重ねて感動恐縮したのは言うまでもないこと(場所はこちら そして付近信貴山)。
山添村の配した看板文言には「室町時代」とありました。
これは皆さんにもご紹介しなくてはと車に呼びに戻りました。
そして「よろしくお願いします」と合掌してその場をあとにしましたが、やはり心に響くのは南無阿弥陀仏と「気張れやぁ~」の御慈悲の声。
キリスト教での「慈悲」といえば聖母マリアの「悲哀」(ピエタ)の如くを感じますが阿弥陀さん(仏)の働きといえば「私の尻腰を押す」ように感じるものです。
阿弥陀仏諸仏は忙しく働いて背中を押してくれるのです。
私たちの悩みの多い分・・・。
さて、この山添村のルートを自宅で復習すれば、この道は奈良と伊賀上野方向を結ぶ街道筋。
今の名阪国道などはありませんからね、直線に近いものとなりましょう。
阿弥陀如来摩崖仏は室町期と言いますので古道往来中になんらかの事情で命を落とした者たちを悼み、縁者が墓塔を建立したことが推測できます。
中にはそれだけでは足りずにさらなる阿弥陀如来の慈悲を求めて岩にその姿を彫り出したのでしょう。
後補の地蔵の件、作風も少しばかり稚拙無器量を感じます。
いつの時代も「おっちょこちょい」はいるものですがそんなところか。
スペインのキリストのフレスコ画の修復の件を思い出しました。
コメントをお書きください