やがて死ぬ けしきは見えず せみのこえ 土芳返句

世の皆さまには申し訳ありません。

意味不明に陥らせることとは思いますが四季のうち私のこの候のイメージは「夏こそ命」。

生き物たちは活発に動いています。にもかかわらず人が冷房の効いた部屋に閉じこもっている姿はいかにも不自然です。

その季節を謳歌しなくてはむしろ「いのち」に申し訳なく思いますし特に盛夏といえばそれこそ活発に動かなくては・・・です。

 

熱中症発症現場の第一は「家の中」といいます。

よって「外に出ること」が健全な姿であると勝手に解釈して昨日は奈良弾丸日帰りツアーを慣行しました。

人を巻き込んでの得手勝手でしたがとても満足することができました。

朝5時に出てありがたくも夕方7時30分には相良に帰還できましたのでまったく順調・・・の感。「日帰り全然OK!!」。

 

横浜の友人は私の得手勝手のそれぞれについて、不寛容なところを見せますがそういう時、最近は私も開き直って「やがて死ぬ」のフレーズを連発するようになりました。

 

つまるところ「そういうこと」なのではありますが「行き着くところは死であるのでそれまでは何をやってもイイ、許される」という「変則本願ぼこり」という感覚ではありません。

ただ人の一生も日の出とともに数日の生を謳歌する夏の「蝉」とひょっとして同じかも・・・とも思えるところで・・・。

それならば蝉と同じよう生きている今をより一所懸命に動かなくてはなりませんよねぇ。

 

そこで表記芭蕉の句。

   「 やがて死ぬ  けしきは見えず  せみのこえ 」

 

私は蝉の活動を愚かとは思いません。

芭蕉もそのいのちというものの「無常」についてを歌っているのですから。

ただし私の場合、自分のいのちの終焉について意識しているところがケチなところです。

 

さて、伊賀上野の俳人に服部土芳(1657~1730)という人が居ますが彼の俳諧の師匠は松尾芭蕉。蕉門十哲の1人です。

その人が自身の菩提寺の盂蘭盆会にて芭蕉の句の掛け軸を見て返句の如く記した句と詞書があります。

その芭蕉の句というのが上記「やがて死ぬ」でした。

 

「 無常迅速              

   やがて死ぬ けしきは見えず 蝉のこえ   

  

 其響、菩提寺の山にみちて 

       人おのづからなむあみだ ~ ~

 

   こゑに皆 鳴しまふみや 蝉のから    土芳 」

 

「から」はわたし。

 

画像は「青い空」に映える「なら仏像館」前の宝篋印塔

格別です。

昨日の国内最高気温は京都。39℃超えでした。

沖縄に行かなくても存分に楽しめました。