長篠城あたりから飯田線や宇連川と同じに信州方面に北進する別所街道を大野城を過ぎて鳳来寺の入口となる、あのネコのいる
利修仙人足湯には街道を逸れて宇連川に架かる橋を左折して行くのですが、その橋の右手の山のトップに愛宕神社があります
(場所はこちら)。
こちらのそれほど遠くない場所にある愛宕社についても記していましたがこちらは井代の集落の鬼門方向から見下ろすような位置にありますので井代の守り神的要素が強かったのでしょう。
そして「井代」地名に実際城塞があったことから推すれば元の地名発祥は「居城」から・・・などと勝手に解釈しているところです。
宇連川が造った谷あいの狭量な集落が井代ですが、看板にあるよう田峯菅沼の支城ということで。
「竹田式部将監」なる伝承もあるようですが、本格的城塞と整備したのは菅沼氏からでしょうね。
狭い平坦地で基本的に根古屋は城の麓辺りにあったと推されますが現状それを想う場所は宝珠院周辺です。
攻め手として南西からの急峻を上がることはありえません。
一見難攻不落の城に感じますが北東尾根沿いからの脆弱性が顕著ですので、案外と落としやすい城のように感じます。
②③は宝珠院前から井代城を見たところ。③のトップに愛宕社が見えます。⑥は登り切って街道方向を振り返ったところ。
⑫⑬は愛宕社の奥から見た橋と川向うの様子。⑭⑮は橋を渡って城を見上げたところ。飯田線の架線も見えます。
本日はサラリ、サッカー、セネガル戦ドローは及第点でしたがキーパー酷すぎの感。前回ミスを引きずって縮こまっているいるよう。
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