500基中40基の倒壊 石清水八幡の石灯籠 

今ちょいと環境に問題意識のある国というものが取り上げているのが海洋に流れ出るプラスチックの件ですね。

昨日の「プラスチックは便利だがひょっとして健康・環境に悪いかも・・・」の続きです。

私は十中八九プラスチックはその悪役だと思っていますが。

 

燃やせばダイオキシン発生のイメージの強いプラは現状「プラ」リサイクルの循環の中に一見あるよう思いますが、製造した「プラ」のうち(年間約4億トン)約4割は使い捨てとのこと。

その多くは包装材だといいます。

そのうちどれくらいの量がその循環サイクルの中に入ってくるのかは甚だ疑問が残ります。汚れたプラは「燃やすごみ」のくくりになっていますのでほとんどそのリサイクルの語は気休めのシステムでは・・・などとも考えてしまいます。

 

最近は海で遊ぶことから遠ざかっていますが、何せ腹が立つのは海中に漂うビニール袋にペットボトルその他。バケツ、ポリ容器に時に風呂おけ状のものまで。

海はプラスチックの「ごみ捨て場」となっているのかも知れません。万物行き着くところはやはり海なのですね。

 

以前報道ではそのビニール袋を好物のクラゲと間違えて食して死んだウミガメについて伝えていましたし、海洋中を漂うプラスチックが徐々に崩壊し、崩壊途中のペレット状の粒が砂の如く堆積する様子を見ました。

また、5mm以下となったプラスチックの粒は「マイクロプラスチック」と呼ばれて特に今環境を破壊する問題としてクローズアップされています。

何しろあらゆる海洋生物がその海と生物に溶け込んだ害毒を体内に摂取しているといいます。

要はその生き物たちの頂点に立つ人間の体内に最大濃縮されたプラスチックが蓄積しているということでしょう。

 

あるファーストフード店が今後現状使用されている飲み物につけるストローをプラスチック製から紙製に移行すると発表していました。

少しずつでもプラスチック食品容器を無くすことができればいいのですが。

私たちのゴミ捨ての意識改革があれば改善するというものですが。今は発展途上国からの海洋投棄もかなり増えているよう。

 

今スグ、プラ製品を無くしてしまえば環境問題は改善に向かうに決まっていますが、そうなれば経済というものは成り立たなくなるかも知れません。

日本国内製造業で包装材として安価で普及しているプラスチックを取り上げたとしたら・・・簡単には規制できないオトナの理由というヤツがそこにあるのでしょうね。

逆に環境問題を提起する機会は多くなりつつあってその対応については社会的評価が高いものがありますので、先ほど記したストローの如く、代替品の発案製品化があれば新素材として引き合いがあるやも知れません。

そろそろプラスチック全盛の時代を卒業するというのが人類の至上命題なのでしょうね。

 

さて、息子に余震はどうよ・・・と問い合わせれば震度3レベルが「結構来る」と。

今や当地であの「ひでぇめにあった」と語り草となっている震度6.5弱の駿河湾沖地震での余震を思い出します。

猫どもは走り回って人間以上にパニックになっていますが、あの状況下に居てまともな精神状態の維持は難しいですね。

私どもがそうであったように、早く北大阪の大地が収束に向かうことを願います。

 

昨日は本山より「同朋新聞」の7月号が届きました。

まだまだ東日本大地震と熊本地震の義援金募集について紙面を割いていましたがこれから今回の大阪の地震についても並べられるのでしょうね。

地震義援金募集がどんどん増え続けて紙面がいっぱいになることはまさに悪夢ですね。

 

石清水八幡宮は震度5だったそう。

男山はあの妙喜庵よりは高槻寄りですね。

報道で知りましたが石清水には500基の石灯籠があるとのこと。

たくさんの石灯籠が目につきましたがまさか500とは驚きです。

そのうち40基が崩れてしまったといいますが何故か室町以前の灯籠は立ち続け、倒れたのは江戸期のものばかりといいます。

こちらでも「古き時代の良きものと技術」の偉大を感じました。