最近新聞のコラムで「老後の3K」について記していました。
リタイアしてから「その時」までの三大不安、「健康」「金」「孤独」の3つのKです。
どれもこれも切実でだれもが抱えている不安ですね。
私に至ってはまったくピンときませんが人生100年時代と言われるようになって、さてそれまでの時間を「どう過ごす」かという難題です。
そもそもその3テーマ以外にも果てしなく多くの雑念を抱えている身でどれもこれもそううまくいく筈は無いとは思うもののあらためてその三つを「さあ さあ さあ」の如く問い詰められたらぐうの音も出ませんね。
昏睡状態の末に亡くなった父親の姿を目の当たりにしたときはこれは決して「イイ最期」ではなくもっと違う何かを求めるべきだとは思ったのですが、自分の体が今後どうなるかなど分かったものではありませんね。
そして「有無同然」である・・・と「カネ」にこだわることはないとも口にはするものの父母の如く年金をアテにできませんので、
生きたら生きたで辛いような・・・。
昔は「姥捨て山」という「適宜リセット」の機能がありましたがまさか「オレを山に捨ててくれ」などとその時分に言い出せるものかわかりませんし、家族を殺人罪(未必の故意)に問われるようなことを仕向けられませんね。
だいたい足腰も立たなくなったら家に居る、あるいはベットに貼りついているだけですし。
そちらの記事では実はその3つのKのうち最悪なのは「孤独」であると。つまるところその「孤独」が今巷でいわれる「暴走老人」へと化すのだと断定していました。
「犯罪白書」(2017)の数字を示していましたが、65歳以上の高齢者の犯罪はほぼ一貫して増え続けているようです。
増えているのは「傷害・暴行犯」というから恐ろしい。
そういえばブチ切れの御老体の姿を見聞きするようになりました。
高齢者の犯罪検挙者数は約4万7000人いたそうですがこの20年で約3.7倍の伸び率です。特に傷害・暴行犯に関しては約17.4倍。これは不可解、明らかに異常であるかと。
何故にそんなに切れてしまうかというと・・・孤独が人との接し方をわからなくしてしまうよう。
孤独は自身の脳の動きをフラットにしてしまい、新たな刺激がなくなってしまうのですね。
私の場合は先日も記しましたがその皆さんが「最悪のK」とおそれる「孤独」に関しては仕事柄「まずまず」回避できると喜んでいます。
昨夕も近隣の歴史好きの方から直電があって励まされました。今度お参りに来られるそうです。
その時は塩買坂から高天神六砦そして横地城についての話題でした。
歴史がご縁で新たな親交が増えたということで奇特なことです。
さて、先日は田峯城の門前で大恥をかかされて、尚また居城を追い出された菅沼定忠について記しました。
その約1年後に満を持して夜襲をかけて田峯城を再奪取したのですが、そのクーデターを首謀した今泉道善に対しては特別の憎しみがあったことは「鋸びき」という処刑方法でわかりました。
菅沼定忠は今泉一統は勿論、在城していた一族郎党を殆ど皆殺しにしているようです。
そちらは今泉道善が処刑された道善畑から一旦下り北に向かいます。
すると道の向こうに田峯菅沼家の菩提寺といわれる日光寺(裏側です)が見えますがそのまま西側の坂を上り詰めたところを左に上がってしばらく行けば「首塚」の掲示板が。
この道は鳳来寺道に出られますので地元の人たちの生活道になっています。ただし一見林道の如くです。
石碑がガードレール前に立っていますのでスグわかりますし駐車スペースもあります。
そちらから小径を上がって森を少々行けば荒れた覆堂らしきものが。
石塔残欠が無造作に並べられています(場所はこちら)。
⑤の看板はやはり英語入り。
「首塚」とは「Burial mound for Severed head」だそう。
⑬⑭は田峯城本丸に設けられた供養塔。
⑮⑯⑰が日光寺門前より。田峯城が見えます。
最後の画像が少々離れた場所で見かけた「今泉」さんの墓碑。
まずは関係ないと思われますが、失礼ながらそういったところに拘りを持って推測するのも面白い。ただし怒られそう。
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