昨晩の「クロ現」テーマは高齢者ドライバーによる事故の件。
こればっかりは自分の問題ですので、事故が起こったあとに縁者に向かって免許証の返納を強く言っていたら「こんなことにはならなかったのに・・・」あるいは家族そのものの悔恨が伝わってきます。
どうにもならないな~・・・と思うばかり。
高齢者から車を奪うことは「いよいよ孤独への途」の背中を押しているようなものでむしろ個に対しての自由を拘束するようなもの。田舎で何もないような場所に住まう高齢者は「家に居ろ」という事に相違ありませんね。
そしてこう記している私が若い頃より相当に怪しい運転をしていることを自覚しているからです。
おかしな話ですがそれでいて「私が75歳に」なった場合を家族で話せばぬけぬけと「ボクは大丈夫」などと吹いている私がありますからね。
人様に向かって「免許証を返上しなさい」などと言えたものではありません。
そして「年齢」に関しては一応「75歳以上」とはいうものの個人差がありますし大抵の方は「認知機能検査」をパスしているといいます。
その試験は殆ど「ざる」というに等しくて家族の願いも空しく合格してしまうのだとある檀家さんは言っていましたが。
すると警察庁にもプライドがあるのでしょうね。
その認知症検査で不合格だった高齢者の数について発表していました。
システム上試験一発で免許証の取り上げにはなりません。
認知症の恐れがある「第1分類」というカテゴリーに入れられて「医師の検診」を待ちます。
昨年3月12日の施行から今年3月末まで約1年間で全国で210万5477人が受検し、そのうち5万7099人が第1分類と判定されたそう。数字から見てもやはり「殆ど合格」と言っても過言はないかと。
その他の人たちが自主返納に至ったかどうかは記されていませんでしたがその「医師の診断」を受けた人は1万6470人。
診断後に免許の取り消しや停止の行政処分を受けたのは1892人で現状1515人が行政処分に向けた手続き中とのこと。
それでもやっぱり「ざる」と言われても仕方ないか・・・
孤独を誘引する免許証の返納であるならば頭が痛いですね。
心を開きお喋りをすることがどなたに於いても必要な事ですがお国の方は免許証を取り上げたあとの事も思料していただかなくては。
画像①は當麻寺仁王門阿像。画像からはわかりにくいですが、ミツバチが巣を作っていました。
「阿吽」の「阿」が口を開いている方。
②が三河設楽の田峰観音の石灯籠の火袋。猪目(♡)の彫りがオシャレです。
所有者は不明ですが、鳥の巣がありました。
人の出入りの僅少か人々の寛大さ、その両方が考えられます。
どうか両方とも巣立ちを待って欲しいものです。
「開けば何か入るものがある」という画です。
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