昨晩の日本大学の記者会見を見て。
世の権威保持者の醜悪、成れの果ての状況を拝見させていただきました。
アレこそ今の日本の縮図だとも。
ブログにて先日も記させていただいていましたのでその流れです。
先日の20歳になったばかりの彼の会見に対しての「言い訳会見」が日本大学主催で行われた凋落劇場(激情・・・)だったのでしたが、私の思う「それはそれは・・・」は、あの様子では「来春の大学出願者はさぞかし減るだろうな」でした。
私にそれを心配する理由はまったくありませんのでただの興味本位ですが・・・。
まぁハッキリ言わせてもらえば、親としてあの学校に「入学しました」と胸を張って公言できないようなレベルでした。
在学生もさぞかし苦虫を潰すどころか、入学したことを後悔しなければならないようにも感じます。
OBの皆さんもその雰囲気と会見での違和感は十分に感じ取ったのではないでしょうか。
一番の皮肉と思ったのは日本大学の学部に「危機管理学部」なる今風かつ今回事案の如くの危機案件に対する、まさに的を射た学部があるということですね。
果たしてその「大看板」の通りの学問が大学自体に機能しているのかという疑問も湧いてきたワケで、最高学府としての地位を大いに揺るがしたということでした。
記者は「大学のブランド」という表現を使用していましたがもはやそれは無いに等しいものかと。
なぜならば上記に加えて「大学のプライドと管理者の地位のみの保身に走り20歳の学生の一所懸命を守ろうとする意志が無い」ということを日本中に知らせたことです。
少なくとも私たちはあのような「エラい人」にはなってはいけませんね。失笑されるだけです。
それに気をつけたいですね。見失わないということ。
現状自浄作用を待ちたいと思いましたが無理のようです。
馬鹿(私の如く)でもわかるアホの典型を見た思い。
繰り返します。歴史から見てもわかりますが人は地位(権力)を得るとそれを離したくないという意思が強くなり「何でもする」ものなのです。
そこ(自身のありさま)に気づいた人が修正できまた結果的に、自身納得の人生を送ることができるのかと。
さて昨日は運動不足解消の一環、夏期専門の「ただ歩き」、徒歩瞑想(かちめいそう)に。
日頃、特に最近檀家さんに向かって「家にいたら死ぬ」「座っていたら死ぬ」と憎まれ口を吹聴していますので「おまえはどうなんだ・・・」の阿弥陀さんの声に応えたものです。
スタート地点は御前崎下岬(灯台下)でした。
要は奥方に「ここ」と決めた場所に「うっちゃって」もらい、それからただ自宅に向かって歩くだけ。
午前中の2件の「あげ経」を終えて昼食後1330分からでした。
無心に歩いてメディテーションになるかならないかわかりませんが、健康的な過ごし方であることは確かでしょう。
まぁ世間様から言わせればこれも「いい御身分」なのでしょうね。
昨日はいいお天気で徒歩には申し分がなし。
特に朝から耳に入っていたホトトギスとウグイスの競演は心を和ませました。私の歩いたそこここで彼らの声が響き渡っていました。
数字的には下岬から自宅までのんびり歩いて2時間半。
スマホの万歩計は16000歩でした。
もっと歩数があると思っていましたが大したことがありませんね。1日かけて山城3カ所攻めた時や奈良遠足の二日目は2万歩を超えていましたし先般の引っ越しでの階上と車の往復でもラクにその数値を超えていました。
以前から3万超えるとどうなるのだろうと思ってはいるものの自宅に帰って一服したあと、下岬まで戻るなどという気持ちにはなれません。3万の壁は高いかも。
次の日に体がぶっ壊れていそうです。
譬えがオカシイかもしれませんが私がそのくらい必死になるとすれば・・・「刑務所から脱走したとき」でしょうね。
そのシチュエーションは今のところ予定にはありませんが。
その件今の流行もののようですね。
直近3件ほどありましたが2件は解決済み。収監先からではないですが現在逃走中という人が強盗事件で逃げている警察の方でした。
画像①②が下岬付近。①は私を「うっちゃって」走り去る奥方。息子の春休みに知り合いから7万円で買った13万㌔超えのレガシー。息子は車を置きっ放しにしていますので、奥方がバリバリ言わせて乗り回しています。
③が「なぶら」付近。海抜が表示されています。④は近辺唯一の避難タワー。台地が近いのでその設置の有効性に関しては微妙なところ。
⑤が途中にある墓地ですが、私の同級生が。勿論参拝して⑥へ。
丁度以前記した「死人川(しびとがわ)」付近。地元ではこちらを「鯱岩(しゃっちゃ)」と呼んでいます。
こちらもキラキラネーム「幸岩」に変更しようという声があがっているということもブログで記しています。
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