當麻寺について「ちょっと違う」というか「寺のイメージ」として「ふ~ん」と思わせることは
①真言宗と浄土宗の二宗並立
②ご本尊が仏さまではない
ということでしょうか。
①については長野の善光寺は天台宗と浄土宗の二宗が主体でした。宗旨にこだわらないというお寺ですが一般的にはどちらのお寺でも新旧宗派変遷はあるもので、大抵は残るのは一つというもの。やはり珍しいことです。
②の御本尊は早い時代となると弥勒菩薩だったそうですが現在は「曼荼羅の織物」です。一般的にいってやはり驚きがありましょう。
そちらが通称「當麻曼荼羅」(「阿弥陀浄土変相図」)ですね。
またその善光寺もそうでしたが以前は「道場への女人入場の禁止」はごく当たり前のことでした。
案外と仏教には柔軟なところがあってそれに関して「論理的に納得できる理由」などあれば時として「OK !」になることがありますね。もっとも真宗にあっては「まったくOK」のスタンスですからその語を聞くときは大いに違和感がありますね。
浄土に行くにあたって男も女も区別はありません。
そもそも女人の救済を前面にうたったのが善光寺でありましたし、歌舞伎の「娘道成寺」などもお話の中で「一応は女人立ち入り不可ですが」の場面がありますが、事情を話せば「ハイどうぞ」でした。
仏教の教えには「男も女も区別なし」はもはや当たり前となっています。
それが現代であってもあの「相撲の世界」がその思想をいまだ継承し続けていることへのお笑い種を感じます。
ちなみに道元さんもその件について「日本国にひとつのわらひごとあり」と大いなるバカバカしさとして記していました。
昨日も當麻寺のウリについて記しましたがやはりその最たるものはやはりご本尊とされる曼荼羅です。ただし曼荼羅という呼び方をすると密教の胎蔵界・金剛界のいわゆる「曼荼羅」と混同されるおそれがありますが、それはただ見た目がそれら両界曼荼羅に似ているだけのことであって内容に関しては上記「阿弥陀浄土変相図」というのが適格でしょう。
この「阿弥陀浄土変相図」は中将姫という女性が織ったという伝承がありますが詳細は割愛、各「中将姫」でググっていただければと。
当流には「浄土三部経」といわれるたった3本の「お経」と呼ばれる経典のみをその宗旨の根本として、加えて親鸞聖人の記した「正信偈」という偈文の精神を前面に押し出すという教えとなりますがその浄土の図柄に関しては浄土三部経のうち『観無量寿経』のストーリー展開を詳細に描いているという点が特筆すべきところで、よって「観経曼陀羅」とも別名があります。
当流では法事には「正信偈」+「浄土三部経の中の一つ」の拝読というパターンが主流ですが、以前ですと男の人は大無量寿経か阿弥陀経(小無量寿経)そして女の人ですと決まってこの観無量寿経があげられたと聞いています。
いつしかやはりそもそも「男と女」の区別はオカシイということで男女で経典を分けるのはやめたのでしょう。
拝読の時間でいえば「大無量寿経は長すぎ」、「観無量寿経はまぁ長い」、「阿弥陀経なら許容範囲」というのが参列者の意見でしょう。
本音を言えば「阿弥陀経がイイ」に決まっていますね。
というのは私だけではないかと。
薄暗い本堂に入って金網の中に守られた阿弥陀世界の荘厳を拝すれば「是非とも行きたい」の心が沸き起こります。
こちらの御本尊がご本尊である理由もわかったような・・・
5月14日が「聖衆来迎練供養会式」です。
コメントをお書きください