昨日境内で久し振りにお会いした方。
「先日退院することができた。有難い。」との声。
「軽くはない病気」とその方の縁者から聞いておりましたのでかなり心配していましたが、聞けば「右側の肺を全部取っちゃった」とかなりシビアな言葉。
疲れやすくて「まだまだ元に戻ったという感触はない」そうですが「飯がうまい」と仰っていました。
その件、昨日GW帰省の「奥の墓道」氏に話すと「病気になって初めてその平静の幸せを実感できるのだろうし、そこのところが一番に喜ぶべきところなのだ」と感慨深く。
「飯がうまい」と感じることこそ奇特な(将に生きている、生かされている!!)ことなのです。
さて、昨日の谷性寺と明智のお話。
明智光秀大河ドラマは決まったもののその脚本についてが次のポイントですね。
これまでの光秀謀反の主たる理由は「主君信長によるねちねちのイジメ」であったことはよく言われている事。
まぁ歴史評価の大抵は後の世の狂言(お芝居)など演劇によることが大で、その大衆の心に一番に取付きやすく響きやすいその伝達手段の効果は絶大だったでしょうね。
今に至っては最近になって出てきた文書類からの高評価によってただ単にこれまでの(ヒステリック含むイジメの仕返し)本能寺原因説を述べる人は皆無となりました。
理由を説明しうる状況証拠が出てきたということですね。
ちなみにその「光秀へのねちねちイジメ」を理由と推測させる演劇といえば表記「馬盥」(ばだらい)です。
通称「馬盥の光秀」、正式には『時今也桔梗旗揚』(ときはいま ききょうの はたあげ 勝諺蔵―四代目鶴屋南北 )です。
内容は各ググっていただければと思いますが、その「ときはいま」の「とき」とは超有名、連歌会で詠まれた「とき」ですね。
「時は今天が下知る皐月かな」、出自の「土岐」と「天下」がうまい具合に・・・
その土岐氏の家紋が桔梗ですね。
谷性寺の見どころは首塚というよりも明智門とよばれる山門です。移築されているものですがハッキリと桔梗が彫り込まれています。
掲示板の如く蟇股の部分の内外の彫りについて「桔梗紋と輪法紋」の対象について触れていますが桔梗紋の画像は確り撮影できたもののあいにく輪法紋の方は失敗でした。
輪法紋は仏法に帰依する気持ちのあらわれでしょうか。
比叡山の焼き討ちその他真宗はじめ仏教弾圧に反省し、また新しい事嫌いで既成の体制を守ろうとする彼の気持ちが信長を成敗するという結論に至ったのでしょう。
墓域には古そうな五輪塔と石仏のお出迎え。
木製の五輪塔は新しいものですが、面白い試みですね。
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クリクリ (月曜日, 30 4月 2018 23:52)
浅井や、播磨の国人衆や松永久秀等、家康でさえ、信康事件では信長を裏切ろうか考えたことがあるようですね。
やはり、仕えにくかったのでしょうね
今井一光 (火曜日, 01 5月 2018 05:21)
ありがとうございます。
信長の既成概念をブチ壊す爽快さは離れた場所で見ていれば案外爽快というものでしょうが
その大ナタを我が身に振られたことを考えると恐ろしや、「仕える」ということに関して
半身の姿勢が心に芽生えてしまいますね。
「使い捨て感」が充満している人だったのでしょう。