財務次官殿の破廉恥疑惑について、ご当人は否定されたとのことです。やっぱり政界と高給取りのお役人たち、「ウソばっかし」との印象が増しましたね。
「あるものをない」、「やったことをやっていない」「言ったことを言っていない」まるで小学生のおトボケの如くの連発でいやはやこの国のお偉いさんたちは見苦しい事このうえなし。
「面倒は御免」は私の息子への常套句ですが、彼らも国民から突き上げを喰らうような「面倒は御免こうむりたい」であって、それならみんな「隠しちまえ」ということでしょう。
それを許容するということは本来の民主主義を知らない国民という烙印も世界から押されかねませんね。
その件を恥辱ととるか、能天気に傍観するかでは「国民の責任」というものに関わってきます。
もはや国レベルのシステムは「無責任」状況に陥っているかの躰。ああみっともない。
さて、「法蔵」(昨日の法蔵寺)といえば西村九郎右衛門の法蔵館を思います。創業400年の仏教書中心の書店で特に当流(東本願寺)の僧籍にあるものでしたら知らない人はいないくらいお世話になっている本屋さん。本山系修練場では経本の法蔵館指定は当たり前のようになっていますね。
その「法蔵」の語源は無量寿経(重誓偈)の「爲衆開法藏」からとのこと。
「為衆開法藏 」(法蔵菩薩)とくれば
「広施功徳宝 常於大衆中 説法獅子吼」とお馴染みの語彙が続きますがその「獅子吼」を山号として「法蔵寺」としたのが獅子吼山法蔵寺でした。
その境内地にある「しあわせ保育園」の歴史は古く、明治後半に農耕繁忙時節の託児施設の開設から始まっていますが本格的運営のための園舎の建設に有力檀信徒の小林庄平という人の支援がありました。
その方は当時「國冠酒造」の経営者です。
近江出身者が灘の蔵元?とは少々違和感があるかも知れませんが「近江商人たるや」を知れば合点がいきますね。
こちらのお寺にはそういった有徳なる人がいらしたということです。
ちなみに近江商人の有徳人たる人の思考はやはり真宗的で仏飯を食む者の「おかげさま」の発露でしょうね。
100人に満たないという檀信徒数で代表役員の出資の大きさもさることながら現在の本堂大規模改修の資財は檀信徒の後押しのなせるところ。厳しい時代とはいうものの凄いパワーを感じました。
灘の酒造所には1995年の阪神・淡路大震災にて被災して廃業に追い込まれた老舗が多くありましたがその「國冠酒造」もその苦渋の決断に追い込まれた会社の一つでした。
法蔵寺墓域は圧倒的な小林姓の墓石の数に驚かされますが、そちらの小林家も墓石を改めて近江の地をも離れたといいます。
その悲しい結末は色々な意味でのそれぞれの浮沈と残酷を感じました。
人と人との繋がりをも断ち切ってしまう地震。
その破壊力は物的のみにとどまらないのです。
①の味あるいで立ちの家屋は「小林家」本家と思しきもの。
法蔵寺の真っ隣にあります。
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