昨日は池新田の叔母の家の庭でちょっとしたフェンス工事。
京都に向かう直前の愚息に穴掘りをやらせようと連れて行きました。
そこで何故かいつもの不運に襲われたのです。
息子が作業中に「ああ~!!」と。
掘ったばかりの穴からは水がどんどん溢れて道路に流れ出てきました⑦画像。
そうです。水道管をスコップで突いたのでした。
そうなると作業は終了。
御前崎市の水道課に連絡して指定の業者さんを呼びました。
10分もしないうちにやって来てくれてこれは有難いと余計な事を作業員の方に話しかけていました。
市役所通りの「河原﨑」という業者でしたので・・・。
溢れ出る水に悪戦苦闘しているところを「河原﨑ってどこ出身?」とノー天気なことまで・・・
水道管破裂に関してはプロであってもやらかす事ですからね。まるで地雷のようでもあります。
何処にそれが通っているかなどまったくわかりません。
ちなみに場所はメーターの外側でバルブを閉めるなどの対応ができない場所でした。
奥方が後からやってきて、その無駄な時間と緊急の散財(水道管修復の工賃)について大いにお叱りを受けたことは言うまでもないことです。
さて拙寺と古くからお付き合いしていただいている家系に酒井家一統があります。
境内に数基の墓石が立ちますが家紋の入っているものはすべて「丸に剣片喰(酢漿草)」(○の中に「けんかたばみ」)です。
その件以前ブログにて記したことは覚えています。
昨日のブログで伊藤忠兵衛邸の画像をアップしていたものを眺めていてその♡型に気づき、この件については果たしてアッフしていたのだろうか・・・と過去ブログの検証をしました。
ざっと見、誤字脱字に関してのお恥ずかしいところは見つかったものの、やはりお初だろうと判断してこの画像を並べてみました。
一気に関連の場所を続けて記せばいいものを気が散ってあるいは忘れ去っているのでしょう。
酒井広親の石塔は岡崎の岩津小学校の真西にある墳丘風の壇上にあります(場所はこちら)。
石塔のどっしりとしたシンプルさは好感が持てます。
今は住宅地の一画にあって草ぼうぼうとなる夏期ともなれば埋もれてしまいそうな環境にあります。
一番古いとそれまで岡崎市が仰るならば(掲示板)、もう少しばかり配慮をしてあげてもいいのでは・・・と思ったところです。
覆堂等で雨からの浸食を防いであげたいところですね。
近くに散らばった石塔残欠などもキレイに整理してあげれば。
私はこの墳丘らしき石塔の下を発掘したら何かが出てきそう・・・と考えます。
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