橋といえば極楽橋 二河白道は渡らない 源信母の手紙

夜半の風雨は予報通りでした。そして朝にはやむことも。

5時過ぎに外を見やれば、結構な降りだったわりに風の強さもあってコンクリート路面は乾燥していました。

「ありがたい」と思わず阿弥陀の名を称えていました。

その後の超凝縮された午前中の半日はまさにあっという間。

皆さまのおかげで段取りよくスムースに事が運びました。

特にテントの整理が瞬時で驚愕の速さ。

市のグラウンドから借りている2本のテントは往復の手間と劣化して使いづらいことがあり、婦人部の本多さんよりあと2本の寄進を打診されました。ありがたいことです。

保管場所を作ってから発注しようと思います。

全5本のテントがあればより便利になります。

 

どちらのお店も売り上げの方はまずまずだったと聞いてこれもおかげさまの一安心。

直営では肌寒かったせいか150個以上の焼き芋(100円/一個)が完売しましたが、しっとり系で期待外れの方がいらしたかも。

季節的にどうしても無理のある素材かも知れません。

 

拙僧のお話のテーマは「尻腰」。私自身含めこれからの重大テーマです。

「しっこしのない」と言う台詞がありますね。普通は「もっと我慢しろや」の叱咤する語ではありますが。

支離滅裂な雑談レベルのものですがその「尻腰」の衰えは「白い道」を渡り切れないからスクワットで維持しようという流れ。映画の「親鸞 白い道」のそれですが「二河白道」の「白い道」のこと。その語はググっていただければと思いますが、奈良国立博物館の「二河白道図」(③画像)を今度の旅行の宣伝を兼ねてスクリーン上にアップ。

ちなみに拙寺では紙芝居ならぬパワーポイントとプロジェクターを使用して法話等の進行をしています。

 

尻腰を強くするスクワットの説明は「和と洋」という言葉遊びから。

昨日記した日本(「和」)の伝統(女は土俵から降りろ)とやらを揶揄ってからトイレの「洋」のありがたさ。

今学校のトイレは殆どが洋風便座になったと聞きます。しかし「和」タイプも残したいという意見というか余裕も出てきているとのこと。

 

私も時折「和」に出くわす事があります。凄いというか「コレってかなりハードな筋トレ」を思わされますね。

「和」を身近からあまりにも遠ざけてしまったら、どこかで「和」と遭遇した場合対応不可になるでしょうが、あまりにも「洋」によって楽をしてきたかということがわかります。

 

そこでスクワット。「洋」に座るような感覚でゆっくりと自身体力に合わせて1日何セットかの習慣を作り、各自信がついてきたら「和」にも挑戦しようというもの。

勿論「和」は「エアー」ですから深いスクワットのこと。

昔の人の尻腰の強さは「和」にあったというオチですが赤ちゃんが泣き出して端折ったものですからやはり消化不良のお話となりました。

80歳以上の方は知っている「白い道」ならぬ穴に渡した板っ切れ2本のアレ。バランス感覚が衰えたら・・・酷い事になりますね。そんな昔の笑い話はよく耳にします。

当日は88歳と99歳そして99歳+@の方たちのお祝いもありました。

 

「白い道」とは橋のことですね。

仏教世界ではその橋を二河白道とは別に時として御縁の喩えともします。「橋渡し」「仲介」の意にも使いますが人と人を繋げる大切な役回りのこと。

源信さんの母親の手紙にもありましたね。

  

  「後の世を渡す橋とぞ思いしに      

            世渡る僧となるぞ悲しき」

 

私はこの交差点、極楽橋(場所はこちら)を通過する際、ただの字面だけですが感動をおぼえてしまいます。

「また渡らせていただいた」ですね。

ただの交差点ですが、できればこれから何度でも渡りたい。

①②は境内イベント大嫌いな「舞鶴殿」。

通常は外にあるリンゴ箱に避難しますが、早朝からの異常を察して庫裏屋根裏に逃げ込んでいました。

 

てっきり野良猫除けの工事か成功したと思っていたところ、天井からの彼女の声を聞いてガッカリ。「どこから入った」と尋問しても「ニャー」としか。

②は静粛を取り戻した境内に舞い戻った舞鶴殿。木に登ってはしゃぎます。