先だての大荒れの「春分の日」より順延となった法事と元々の予定の法事と午前・午後の2回。
最近は余程の事が無い限り1日2セットは遠慮させていただいていますが、今回は致し方なし。
最近は喉の調子もいよいよ良くなく、先日も「風邪をひきました?」と問われる始末。
風邪などは病んでおりませんが、最近の私が思案しているのは
「息の仕方」呼吸です。
今更何を阿呆な事を・・・と思われるでしょうが、同じ経典読誦・拝読であっても法要と普段のそれ(私独り)では全く違うからです。
その件が、イイことか悪い事かわかりませんが、私の法要の際の音声は「できる限りの全開」で行うよう心掛けるようしています。以前、まさに風邪で声が出にくい躰の出仕の際、「ぼそぼそと何を言っているか聞こえない」という「歯に衣着せぬ声」を厳しくもいただいたことがありますが、正信偈に関しては年配門徒にとってはポピュラーな経典であり、だいたいの「比較」というものが出来てしまいます。
「〇〇寺さんとは節が違う」などの指摘は結構ありますね。
「耳が肥えている」方がいらっしゃるということ(ちなみに他のお寺さんの評価は物凄く入ってきますので他所では私の件さも厳しい目に晒されている事はわかります)。
如来さんには申し訳ありませんが、参拝者の有無でトーンのアップダウンが変わるのでした。
よって有りがちな「何を読んでいるかわからないからイイだろう」という高慢はありえません。音程抑揚ハッキリしっかり発声する事が肝要。ということで経典読誦は殆どスポーツ化~もっとも筋肉としてのくちびる、舌、咽頭と腹筋のみの運動~しています。
ところが悲しきかな齢のせい。「息継ぎ」のタイミングに苦悶するようになりました。
拝読のスピードにもよりますが、活舌良くしようと心がけ、うまい具合にやろうとしても時として唾の飲み込みのタイミングが悪かったりすると気管に入って咳き込みますね。
かといって唾を飲み込んで潤わさないと喉を傷めますし音が出ませんね。
そのタイミングを気にしつつ、拝読していれば最近だんだんに鼻が詰まり気味になります。
当然に拝読中に鼻呼吸ではなく口呼吸になって鼻の方でどうでも良くなってしまうのでしょうか。
スグに治るのですが、拝読中はしばしば鼻づまり系。
聴いている方にはまず「わからないだろう」と高をくくっていればやはり、肥えた耳を騙すことはできません。
解決方法はだいたいわかっているのですが・・・ゆったりと鼻呼吸を交えた読誦をすればイイのでしょうね。それはやはり喉の方がもちません。
牧之原I.C.北開発の件記しました。
高速道路のインター隣接という強みを生かすために国土交通省が今試験的に行っているのが新東名新城I.C.と道の駅との関わり。高速道路を一時降りて道の駅を利用、再び戻った場合に降りずに利用した料金のままにする(「賢い料金」)というもの。
「ETC2・0」が車両必携で道の駅「もっくる新城」に立ち寄り1時間以内にそのI.C.から再流入することが条件になっています。S.A.設置負担を減らしてかつ周辺活性化にもつなげるという一石二鳥の試み。
「もっくる新城」は私もお気に入り。何度か立ち寄っていますが必ず購入するのが五平もち。ただしコレは奥方は大嫌い。
私は「あれを」と気軽に所望しますが始末が相当面倒なようで
イイ顔をしませんね。
家で食べられるのが最高なのですが。
足湯は例の利修足湯から持ってきているようです。
また電気自動車の充電器まで設置されています。
④「鉄砲巻」なる土産は長篠設楽原直近だけにいかにも洒落ています。
都合よくこの手の菓子なら奥方は喜びますのでコレを買ってチャラにしてもらいます(場所はこちら)。
まぁ牧之原I.C.にも当然の如くこのようなメリットとなりうるシステムが導入されることでしょう。
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