旧大野小学校 永明庵址カヤの大木 東陽小学校

先日は普通の寿命と健康寿命のその時間というものについて記しました(ブログ)。

また数日前の新聞記事(9日の厚労省発表の2016年のデータ)から。

その健康寿命の件、男女とも伸びているという記事がありました。「なるほど」と納得するばかり。

みなさん健康ブームにのっとっていろいろとそのための思案を廻らしているのでしょうね。その成果が出始めているということ。政府(特にあの財務大臣殿の発言から)の期待を裏切って国民が健康寿命を全うするようになることは嬉しい限りです。

何しろ少しでも長生きして人生を楽しまなくてはなりません。それが命を与えられた者の至上命題。

 

おさらいしますが「健康寿命」と「寿命」は似て非なるもの。それが同時期に「ぽっくり」浄土へ迎えられることを我らは希望としていることは間違いないところですが世の中そうは簡単に問屋が卸しません。

いわば仏典の通りの「生老病死」の四苦のうち「病」を飛び越えて「三苦」にしてしまうことですからね。

大抵はその健康寿命が終わった後に幾らかの闘病生活あるいは意識のない24時間枕を共にする生活が待っているというもの。

そうなったら「早いがイイ」とは誰もが思うのですがそれもままなりません。

 

健康寿命の健康とは、「他者の手を借りない、一人でできる」ことで要は「介護不要」ということ。

その介護不要に至る年齢が増せば必然的に健康寿命と寿命の差は縮まるワケで(その差がゼロに近づくほど「ぽっくり」に近づく)2016年のデータでは男子も女人も上がっているそう。

 

それによるとその年の平均寿命(男80.98歳、女87.14歳)と健康寿命を比べると男8.84年、女は12.35年の差があるのですが、「不健康」になり始めた時期が2010年のデータから比べて、男が1.72年、女は1.17年の延びがあり、平均寿命の延びの男1.43年、女0.84年を上回ったといいます。

数字では「不健康時代」が縮まって良い事ではありますが、あらためて上記「不健康」の味わいを自身「どうするの?」と問い詰めたところでした。

長生きは私たちの大切な目標ですが健康を維持してこそですね。

 

さて、昨日は大野城の琴森稲荷について記しました。

そちらに向かうには東陽小学校の南側にある参道から向かったのですが、その東陽小学校の旧名は大野小学校でその学校が建てられる以前は永明庵という寺があったといわれます(場所はこちら)。

立地的にこちらは仮説二ノ城と大野城の間にあるなだらかになった高台で開口部は長篠方面、宇連川下流方向になっています。城の門前にある寺は珍しくありませんが、城主系列菩提寺と城割に組まれた施設であったことが想像できます。

 

この永明庵址には勿論小学校敷地となりますが、カヤの大木が立っています。校門からも目にすることができ、看板も立っていることからつい歩を進めてしまいました。

丁度職員室の前ですので、写真を撮らせていただいた後にでも中を窺って会釈でも・・・と思っていましたが先方の方から「すわ何事」という具合に出て来られてしまいました。

 

御時節がら学校というものに足を踏み入れるのは「恐れながら」なのでした。前後してしまいましたが名刺をお渡ししてご挨拶をさせていただきました。

 

このような立派な大木を下から見上げて、「お前もしっかりしろ」「永明にして生きよ」と古の寺の名の如く、叱咤激励されているよう。申し訳なくも有り難いことでした。

 

今の中央、政の流行り事、公文書偽造のドインチキ。

国民騙しのみみっちさ。小人たちども、どいつもこいつも器じゃあないわいなぁ~と聞こえてきます。

 

尚、手前の桜もその節には美しい事このうえないとのこと。 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 13 3月 2018 13:47)

    今の学校は小、中、高ともに敷地に入るだけでも疑いの目で見られます。
    口では「開かれた学校」などと言いますが実情は逆です。
    閉ざされています。
    職員室はおろか事務室にも入れません。
    昔は?事務室も職員室も顔パスでしたがもうダメですね。
    個人情報は見られたくないと言うことだそうです。
    こちらから見ると隠し事でもしているんじゃないか・・・です。

     明日の命もわからない身。生かされているだけでどうしようもないですね。
    直木賞の「銀河鉄道の父」には宮沢家の場面で仏壇に向かい正信偈を唱える場面や
    称名を唱えたり、開経偈も出てきます。
    熱心な真宗門徒がわかります。それに引き替え我が身は・・・
    本願ボコりに巻かれて好きなように生きるのみ。

  • #2

    今井 一光 (火曜日, 13 3月 2018 18:58)

    ありがとうございます。
    私の不審者振りについては我ながら異論はありませんので致し方ないと思っています。
    万が一刃物でも持って暴れるような人物だったら大変ですし、それを今学校では一番に警戒していることでしょうから積極的声掛けは不可欠ですね。

    それこそが真宗的スタンスであってそれ以上の事を阿弥陀さんは望んでいないでしょうね。あるがままに生かされていることを慶べば・・・といつもながらの能天気。
    私も同感です。