私は誰彼かまわず声をかけることを特に苦に感じることはありません。まぁこれは人様によっては「馴れ馴れしい」「ウザい」輩であるとの御認識をいただくでしょうが。
しかし何か自身の「不覚」を補うために人様に「聞く」「訊ねる」ということは如何にも手っ取り早い。
その辺りどちらかかつてのブログでも記していると思いますが、
道や目的地を聞くほか、どこかの店頭で品物の裏に記されている注意書きや取説の類で字が小さすぎて判読不能の場合(いわゆる歳のせい)、適当に近くにいる人を捕まえては「コレ、何て書いてあるの?」などは普通です。
聞いてしまうのが一番。わからないことは聞く。それですね。
余談ですがこの「聞く」はフツーにオールラウンドに使用できる便利な文字ですが「きく」にはより積極的な姿勢を含む「聴く」に「質問」の意が強い「訊く」があったりします。
道や目的地だった場合その回答を期待しているために本来は「訊く」なのでしょうが・・・
ちなみに真宗には「聴聞につきる」という言葉があって「とにかく聞け」がベストスタンス。絶対他力の宗旨ですし。
時に法話上手の錯覚をして延々とおしゃべりする坊さんの件、酒宴での「ツマミ」になっていますが(私の場合は「法話」とは論外のお粗末の躰)「よくないこと」と教わっています。
ホントは相手の「回答」をやはり期待する・・・(要は会話)あるいは「考えてもらう」ことが必要でそういう意味からすれば、「訊く」が一番なのでしょうね。
言葉というものはキャッチボールをしなくては意味がないのです。まぁ「法話」とはしばしば一方通行の件、しょうがない事ですが。
一昨日は三宅坂の国立劇場行脚について記しましたが、本日もそちら周辺でのことを。
「三宅坂」の三宅とは三河田原藩の三宅氏藩邸がこちらにあったことに由来しているとのこと。
「田原」といえば戸田氏(田原城)が頭に浮かびますが戸田家は肥後に移封されそのあとに三宅家が入っています。
その三宅家でまず名のある偉人を挙げれば渡辺崋山であることは誰もが認めるところでしょう。
この崋山が生まれた場所がこの三宅邸でした。
三宅坂のその三宅邸の位置ときたら大雑把に国立劇場あたりということですが、一応はその位置を確認すべく(といっても掲示板等設置場所)を確認しようと国立劇場敷地内をグルグル探索。
グーグールマップでまたは直接ググっていただいて「渡辺崋山生誕地」と検索してみてください。
出た場所をよく見るとお隣の最高裁判所の敷地も考えられますがまったく判明せず。
そこでこの周辺を探し回ったわけですが10人以上の人たちに声をかけました。
場所がら何しろこの辺りで目立つ人といえば①に警察官②に警備員です。かといって他所から来たと思われる人にそれ聞いたとしても無意味ですからね。
私の質問はその「渡辺崋山の生誕地はご存知ですか」でした。「10回以上」の質問に関してのその返答のうち印象深いものを羅列してみましょう。
①「知りませんが場所の住所はどちら?」
②「知らん 知らん知らん」
③「わかりません 不案内をお詫びします」
④「すみません わかりません」
⑤「申し訳ありません しりません」
「恐縮ですが わかりません」
⑥近寄って聞くと「この線から絶対に入らないで・・・」
⑦(一度は④の返答だったところ)次に
「もしかすると あそこかも」
でした。
職業に対する偏見ではなく「色々な人がいる」ということで上記反応された皆さんの恰好から推測する仕事を記せば・・・
①は信号機に立っていた20代後半の警察官。住所は私もわかりません。
②は40代くらいの警察官5人程度のグループ。1回目の「知らん」は一番前に立っていた警察官の返答です。2回目は私がその他の人の中で「知っている人がいるかも」と思い結構な大音声で聞き返したためにその人が代表して今一度。そして3度目は「帰れ」の意でしょう。
③は国立劇場に仕事で訪れていたらしいネクタイ着用の人。
④と⑤が付近駐車場に詰めている年配を思わせる人。
⑥が最高裁判所の警備員⑦が国立劇場で作業中の植木屋さんの頭 です。
正解を導いてくれたのは最後の植木屋さんのアドバイスでしたが奥方の指摘によってハッとさせられましたが(「芝居観劇がおじゃんになるぞ・・・」)、あの辺りは一般人の立ち入りを拒絶する場所が多々あって、当方の「積極的に前向きに聞こう」というスタンスにはお縄に掛けられる可能性があるということです。
⑥は最高裁判所敷地に足を踏み入れようとした際に3人ほどの警備員に制止されたときの言葉ですが、あの地図のポイントを見たら直撃しかねません。
以前は某所目的地に向かって面倒なときは塀を乗り越えてまでショートカット突進していましたが、あそこでそれをやらかしたらまず酷い事になりそうです。
三宅邸跡の渡辺崋山生誕地の標識が立つ正確な場所はこちら。
現在のGoogle地図とは違いました。青山通りの看板が示すようにそのスタート地点。三宅坂の交差点ですね。知ってみれば問題ないカンタンな場所でした。
ただしここいらあたりは駐停車はできません。交差点ですし。
その際も千葉ナンバーの年配者ステッカーを貼った車のご夫婦がご指導とチケットを切られているところに出くわしました。
私の如くおっちょこちょいはあの辺りには車で出向く事などは控えた方がいい場所です。
「広告記念像」の後ろ側にその標は立っています。看板のバックは最高裁判所。
まぁ人によっていろいろ性質というものは違うのはわかりますが、大黒天の如くの笑顔に「上手を使え」(愛想よく振る舞え)とは申しませんし「税金で喰わしてもらっている」などとのえげつないことも言いませんが、もうちっとばかし普通の会話ってものができないものでしょうかねぇ。②の「知らない」連打のお役人さんたちのことです。
「知らない」ということは仕方ありませんがそれはいわば「付近状況について把握していない」ということを表していて、これは指示された通りの場所に言われたまま立っていればイイという発想も受け取れます。
ある意味、近視眼的であって職務に直接関係ないことへの無関心をも感じました。
地域の名所旧跡は知っていて損が無い情報だと思いますし。
国立劇場での昼食はカレー。
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