大野宿鬼門 天神山の石灯籠

この間鐘を撞いたかと思いきやもはや3月とは。

寒い寒いと春をひたすら待っていた私ですが、温かくなってこの3月をいざ迎えるにあたり嬉しいやら寂しいやら。

与えられた寿命が確実に縮まっているということでもありますからね。「夜半に嵐の吹かぬものかは」です。「春の嵐」の予報です。

 

寿命といえば先日母の日常を見て「不健康寿命」とまで言い放ってしまったのですがそれは私にとっても重大なこと。

寿命には2通りあってそれが健康寿命と不健康寿命(平均寿命)です。

上図の最後の画像の通りです。

 

要はその二つの時間の差は厳しい表現となりますが人生を謳歌するような喜びに充ちたものであるか、否かというものですね。

たとえば意識もなくベッドに寝たきりで栄養は直接チューブで胃に入れられて生かされている状態は「嫌だ」という発想がようやく生じてきたのでしょうが「将来の不明」であることは当たり前の「我が死その時」についてとやかく考えるのも「面倒だ」と思うのも無理もない事ではあります。

 

しかしながら今私たちはその時を迎えるにいわゆる行列に並んでいるのと同様なのです。絶対にその列から外れることはできないのですからどこかで受け入れなければなりませんが、その「了承」に関して私自身の意が及ばなくなっているその年齢と状態になっていたとしたらとても辛いことです。

 

それを最近になって「長生きリスク」と呼ぶよう。

「長生き」といったら目出度い事と思っていたのはこれまで、それがリスクとは長生きしてもロクなことがないということかも知れません。

 

「老後破産」とも言われていますが自分自身の生活そのものが破たんするということ。

もはや我が母は、意思というものはありますがもはや「自由」という環境からは逸れて他者介護が無くてはどうにもならない状態です。

母の場合は父の年金と自らのそれで各サービスを受けることができますが、今後私たちの世代ともなれば、そもそも年金などへの望みは無い中、その目減りは顕著とのこと。

絶対にそれら恩恵を蒙ることはムリな話。

サービスなどそもそも受けたくはありませんが、受けざるを得ない年齢ともなったとしても資金不足からそれがままならないということですね。

 

健康寿命とは健全に、自由に動け、食べ、お喋りができ、他者の介護が必要ない状態のことです。

この状態を最期に亡くなることが大抵の人の希望なのですが、「人生100年時代」と呼ばれるようになった今、そう簡単に死なせては貰えません。

そのことがイイ事か害悪なのか私には断ずることはできませんが、兎に角ももしかして私も「寝たきり不明」の時期が来るかも・・・ということは肝に銘じておかなくてはなりません。

 

生涯現役で「トンころり」にこしたことはありませんが、大抵は違う方向になるもの。

もしそう(不覚寝たきり)なった場合、昔なら「山に捨ててくれ」で済んだかも知れませんが今は息子や奥方に大迷惑を招くことになります。

それも「阿弥陀さんのはからい」であるとは私どもの受け入れ方ではありますが、煩悩まみれの私としては、それがどうも気がかりでなりません。

 

山城をハーハー言いながら登るとき、このまま逝っちまったとしたら今少しは家族に困惑を招きもしようが、長患いでもしてベッドに括りつけられるというのは私の本意ではありませんし、家族に無駄なおカネを使わせてしまいますから、その方がマシだろうとも考えてしまいます。

「どう死なせていただけるのか」いよいよ考えていかなくてはならないテーマとなりました。

 

現実のデータでいえば健康寿命(男71 女74)と平均寿命の差は約10年あります。

健康寿命の時間で終われればそれも大きなる仕合わせ。

不健康の終末予備時間はいらないですね。

 

 

さて桐谷の不動滝に降りる目の前、道路を隔ててある天神社の社務所前に石灯籠があります(場所はこちら)。

~この神社のスペースに車を停めて滝に降りたのでした~

天神社は大野宿の鬼門にあたりますが、私が思うには殆ど街道北を守る城砦としての役割があったかと。

 

灯籠には「嘉永元年」(1848)と「鳳来寺」「秋葉山」の銘が。

道標ですので本来はこのような奥まった隅っこにあったとは思えませんのできっとこの位置に移されたのでしょう。

笠の大きさと反り具合が妙。基盤の3段はオリジナルではないような。

夜間あの窓に燈火が入った様子を思いながら神社の山を探索に上がりました。