低温と湿度の低下はこの地区でのインフルエンザの流行に繋がっている様です。
乾燥は冬場の血液ドロドロにもつながりますから水分摂取は不可欠。
「20分ルール」のスーパースティションにのっとって頻繁にお茶を少しづつ飲むようにしていますのでトイレへの回数が増えてしまいましたが。
ちなみに「20分」とは説得力がありますのでまんざら「迷信」とは言い切れないところがあります。ウィルスなど感染源が喉に「根を張る」には20分の猶予があってその間に「胃に流しちまえ」ということのような・・・
「本堂はべらぼうっすよ・・・」はこの時期に法事を依頼される方に言う言葉。
私は腹から声を出しているためにまた、自身の白い息は見た目気合が入りますのでまっく寒さを感じませんが、その時間椅子に座ったままの参拝者からは「辛い」という声がちらほらと聞こえてきます。よって最近はその「脅し」も相まって当節の法要開催は少なくなりました。
堂内は勿論ストーブでの対応をしていますが、それを囲んでいなくてはほとんどその恩恵を味わうことはできません。
温かくなった空気はそのまま天井に上がってしまいますから。
私からはマフラーも手袋もコートも「脱がなくてイイ」とはアナウンスしていますが、なかなかそういうワケにはいかないようです。
法事は温かくなる3月に集中してきますが、今、石油ストーブの燃料の消費が少なくなることは結構ありがたいこと。
昨日に続き本日もハイビスカス対策でストーブに火を入れましたが朝見れば一晩でタンクは空になっていました。
庫裏で使用する暖房費も半端ないですね。
庫裏も本堂同様に温度がなかなか上がってくれませんので電気ストーブとエアコンを時に同時使用していますが、昨日届いた電気代の請求書は夏のエアコンフル回転の時期と同様でした。
「春」がいよいよ待ち遠しく感じます。
この寒波に京都でも雪が降ったという情報を得て息子に「どうだ」と聞けば「もうやんだ」と。
これはそのあとにロクに積雪もなく私の思う「風情など」既にないということを含んだ返答でしょう。
雪が降れば以前金閣寺に走らされたように「今度はあそこへ」などと無理強いされかねないからですね。
私の次の狙いとしてはやはり「銀閣寺」が最有力ですが。
そんな思いをしているとニュースで銀閣寺散策ではお馴染みの哲学の道近く、安楽寺(住蓮・安楽の墓はこちら)庫裏で火災が発生したとのこと。以前息子とその辺りをうろついたこともありました。
お寺の火災といえば特にピリピリするところですが庫裏から出火したとのこと。まったく他人事ではなく痛切な思いです。
この時期はどうしても暖といえば火力に頼りがちになりますからね。
特にあのお寺は私が「7月25日限定の開門日」を意識しているお寺(盂蘭盆シーズンで実現できていませんが)で内部拝観の実現を「いつかは・・・」と考えているところでした。
昨日からの花と山水続きで無理やり持ってきたのが京都寺町通の蘆山寺(場所はこちらまたはこちら)。
秀吉の差配でやはり無理やりこの寺町に移築させられたのもこの辺りの寺たち(清浄華院、十念寺またはこちら・阿弥陀寺・本満寺・・・)と同様の歴史でしょうが江戸期にあっては場所がら天皇家の人たちの墓が並んでいて皇室系の帰依処であったことも同様です。
蛇足ですが明治維新以前は殆どが神仏習合、墓となれば仏式は当たり前のことでした。
蘆山寺はもとは天台座主「元三大師」(がんさんだいし)-良源の創建といいます。そののち法然さんの弟子が再建してその名をつけたといいますが、それはまさしく中国浄土系発祥の廬山(ろざん)からですね。
現在は再び天台系のお寺となっていますが御本尊が阿弥陀さんというのもその関りなのかも知れません(想像のみです)。
廬山といえば山水、水墨画でもありました。
このお寺には夏の花桔梗の寺としても名がありますが、あの時は桔梗を見ずに帰りました。
安楽寺の件もありますが今年の7月には再訪したいものです。
春どころか夏が待ち遠しい。
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