風吹く夕刻、ホールでの法事がありました。
昨日はそれを見越して直前に長湯をして体をポカポカにしてからの出立です。湯冷めをして風邪をひくことなどはありません。
私はサラリーマン時代はずっと朝風呂習慣があり特にこれが冬場絶好調の因でしたので。
想定外だったのは室内が暖房の効きすぎ。
入浴による体の保温効果とその持続とあいまって結局は汗だくになっていたのでした。普段そう汗をかく体質ではないのですが、お勤め自体も腹に力が入るものですからそうなるのでしょう。
最近は「法事はスポーツ?」などと思うようになっています。
さて「無盡燈(むじんとう)」なる言葉があります。
これは大谷大学の同窓会誌の名にもなっています―ちなみに私はそちらの卒業生ではありませんが―先日、その冊子を持参した方が見えて日本画家・インド美術の畠中光享氏の記した文中の締めの語
「過去の出来事にこだわらずに過去を現在に生かさねばなりません。
今ほど
『古いものにとらわれない 新しいものに惑わされない』
という釈尊の言葉を考えなければならないと思っています」
を紹介くださいました(こちら)。
そしてその出典についてを問われましたが私は「よく聞く語だがわからない」とお応えしました。
まぁ「経」というものは基本「釈尊の記述」を旨としますが、流布変遷経緯の中、中国産の「偽経」を豊富に産んでいますのでそう釈迦出典にこだわる必要はないかとも思っています。
ただし「なるほど」と唸らせる上質な「ことば」は各揃って今となっても人の生き方の大きな道~選択肢を提供しています。
さて、「無盡燈」といえば、こちらの出典はわかっています。「維摩経(ゆいまきょう)」です。
経典はともかくとしてブログでは「縁」について記していますが一言でコレも「縁」の範疇。
直訳は「尽きることのない燈火(ともしび)」のことですが、これは「累々と続く法灯」を意味します。
一つの燈火は次から次に伝えることができます(ローソクの火をイメージ)。
また今でいうオリンピックの燈火のバトンタッチの如く伝わりますし、親族代々その「因縁生起」を伝える「縁起」ともなります。消してはいけない大切な法縁ですね。
ちなみに「代々」は正月飾りに餅の上にのる「橙」に準えていますがこの「橙」も「燈」も色が似ていますが字面もそっくり。
画像は東大寺大仏殿前、国宝「金銅八角燈籠」のコピー。
燈篭はその赤々と燃える法燈を表しています。
こちらは京都国立博物館屋外展示場に建っています。
東大寺に行くとついつい大仏見たさに急ぎ歩が進み、まともに拝するタイミングを逸します。私も2度訪問していますが、かつてそのように時間を無駄にしました。
今年の初夏の奈良行脚の課題となります。
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