おそらく今年はハイビスカスとブーゲンは大分ヤラれるかもしれませんね。いかにも寒すぎるのです。
この冬は私の体力のせいで恒例となっていた庫裏2階の一番陽当りのイイ場所への移動は諦めて会館の1階に花たちを押し込んでいます。
2階とは違って陽ざしがあるのは午後の少しの時間のみとなります。
彼らも何年か冬を越していますのでその耐性向上に任せるほかはありません。
植物たちはともかくとして~最悪、残った者たちから挿し木で増やすことができます~人間となるとこの寒さはまっく体によくないでしょうね。「
血圧」「血管」にとってこの「低温」と快適を求めたうえの「適温」とのギャップは時としてかなりのダメージを体にもたらします。
しかしそれこそが生活の中の流れであれば、その「まさかの坂」を気にかけてはいられませんからね。
なるようにしかならないのでしょうが、その高低のギャップを縮めることはできるようです。
たとえば起床の際、ガバッと起きずに布団の中でうだうだとひと考えでもしながらゆっくり動こうと心がけるだけで違ってくるとのこと。
本年最初の御葬儀は初めての御縁となる御家ですが聞けば北海道から来られたといいます。正月2日にグランドゴルフ場で倒れたといいます。
自宅での家族団らんのあと、外出にての急変でした。
ご家族もあまりにも突然の事で何らの覚悟もできていないのは当たり前のこと。残された奥様の呆然が心に染みてきます。
ゆっくりと葬送というわけにもいかないこの御時節。
火葬場の状況もフル回転と聞きます。
そういった「無常感」との遭遇は私にとって「常」のことではありますが目に見えないそのタイマー切れは私にもそろそろスグお隣あたりに迫っていることをしみじみと感じる齢ともなりました。例の件(頸椎狭窄)から夜間の頭痛が発した時はそれを特に思います。
しかしながら「今度息子が来たら」山積する伝えていかねばならぬことを「一つずつ・・・膝を交えて」などとは思ってはいるもののなぜかなかなかそれらへの着手はままならないところ。
「まぁいいか・・・」と今回も京都に送り出していました。
人の生き方と終焉の迎え方はそれぞれ。
ましてやその存在も意味も。
表記は甲陽軍鑑の有名な一節を抜き書きしましたが本来の意、他者に生かされる(適材適所・利用される)的考えではなくもっと大きく考えてみたいもの。
多様な石の形状を「人それぞれ」と考えます。
石積みを「この社会」と考えてください。
大小様々、形も多種多様雑多な集合体ではありますが、このお隣さん同士の一つづつの密接な関りがそれを構成する基礎であることがわかります。
どうにもならない社会から弾かれ棄てられた者たちを「石瓦礫の如く」(いし・かわら・つぶてのごとくなるわれら→東本願寺)という言い方をしますが、よく見ればそれらの類のものたちも石と石の隙間を埋めてその社会を欠くことができない重要な役目をもって構成していることがよくわかります。
この石垣は名古屋城の石垣。各所に刻印が見えます。
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