今私が思う、「どうなんだろう」の疑問は・・・。
大学のスポーツ推薦入試の類の繁盛。
学校によってそれら採用の有無それぞれですが、それはそれは有名校や難関校の自己推薦枠は人気を集めるでしょうね。
凡人は大学入試のために必死になって教科書を頭に詰め込みながら難渋し七転八倒して入学という勝ちを収めることができますが推薦入試の方々は「小論文と面接」だけといいます。
羨ましいやら凄いやら。
しかし何にしろ「強者」オンリーを看板だけでいとも簡単に看板素材を集めるシステムについて少々首を傾げるところ。
昨晩のNHK番組「歴史のへ~、ほ~」の中で丹羽長重の評価として「芸は身を助く」風の形容をされていましたが、彼の場合関ケ原後の改易の憂き目から大名(白河10万700石)へ復活できたのは築城技術の高さという「一芸」があったからこそと。
体育スポーツに集中してある程度のところを極めれば「何とかなっちゃう」というところも人生の方向の選択肢に入れておく必要がありましょうか、若い人は・・・。
私は井の中の蛙で、上記「芸」に関しては高校時代、ただただ「走る」ことのみ、ある程度の自信があってサッカー部ではただ走っているだけの「ずっばしり」と揶揄されていました(これは「奥の墓道」氏が命名)。
そして陸上部の顧問からメンバー不足を理由に浜松で行われる高校駅伝に出たことをきっかけに、中部地方の「〇〇大学の推薦入試」を打診された事を思い出しました。若き頃のちょっとした誇りでした。
私は陸上部で4年間を過ごさねばならぬことにおそれ慄きそれを辞退し、正攻法に人並の受験勉強をしたわけです。
まぁ4年間無駄に遊んじまいましたが・・・
今となってはどちらの道が「よりよい今」であったのかそれはわかりませんが、まぁ真面目に机に向かって勉強(丸暗記的)したという経験はその時期ならではのものですからね。
それは私にとって結構大切だったという思いはあります。
さて、スポーツでも政権でも「強い者」が勝ち続けるなどということはままある現象ですが、そういう状況には「我が世の春」風高慢ちきが芽生えるもの。
人間悲しいかなどうしても態度や言葉としてそれが滲み出てしまうのです。何事も「常勝」の方々、いつかはその地位を明け渡す日がきっと来ますよ。
藤原道長
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと思へば」
月もツキもきっと欠けていくこと、それ必定。
画像③は今年最大のスーパー満月と鐘楼。スマホカメラですから酷いものです。東の空から昇ったばかりの赤味の掛かった満月はよりデカくて圧巻でしたね。
①②は播磨の土産「華麗満月」。
兵庫県在住の檀家さんからのお年始です。
カレー煎餅のことですが、「カレーと華麗」をかけたもの。
私どもは「カレーと加齢」を重ねて両方とも「喰っちゃえ」という宣伝文句を並べましたが「華麗に生きる」ことも大事とここでハッとさせられた次第です。
掲示板に追記して書き直そうと思います。
今年も何事も
「やっとこ とっちゃあ うんとこな~」
の心意気と掛け声で。
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