テントに残る雨粒は前10時過ぎまで残りました。
風は強いがイイ天気。ピンポイントで大晦日にやられました。
こういう場合、「日ごろの行い」についての良い悪いについて語られますが、胸に手をあてなくても思い当たる節、多々ありますね。
6時過ぎには片づけを始めようと思いましたがまんまと予定は外されました。雑巾で大粒のものを拭って焼き芋用ドラム缶の撤去をとりあえず。
そのあとはNHK Eテレの「俳優祭」にチャンネルを合わせていましたが、お年始のお客様来訪の連続でのんびりとテレビの前に鎮座しているというワケにいきませんでした。
午後になって驚きの来客。
大晦日の「天声人語」を見てふらっとお参りにやってきたというご夫婦。横浜緑区からとのこと。全国紙の歴史あるコラムですから読者の数も半端ではないでしょう。
実は31日当日もその「新聞を見た」という方から寺に直接電話がありました。藤枝と小田原の方でしたが、小田原の方はたまたま用事で静岡市内に居て、止めたタクシーの運転手に寺の名前を告げたとのこと。御年配の女性の方でした。
静岡市内のタクシー運転手に拙寺の名を伝えたとしても99.9%
目的地不明に陥るでしょう。奥方によれば3~4回ほどその運転手から電話があったそう。
「雨が降り出したけどホントにやってるの?」という確認もあったとのことで余程不安だったのでしょうね。
しかしタクシーとしては上客だったでしょうしその方からすればかなりの散財になったのでしょうが、ただ新聞記事を信じて駆けつけたという奇特な方がいらっしゃったという事実に感動いたしました。
私どももずっと小田原に住んでいましたので親しみ深く山門までお迎えに行って鐘撞のご案内をいたしました。
お帰りの便について伺うと「どうやって帰ればイイ?」と逆質問。私は相良バスターミナルからの静岡行き特急を紹介しましたが、藤枝方面に帰る檀家さんがご好意で藤枝駅まで送ることをご提案いただきました。
こういった遭遇は普通の大晦日では有り得ないこと。
降雨の中、約270回の鐘が撞かれるなど感動は多々ありましたが、私が今回の「除夕の鐘」で最も驚いたことは、「知らない顔」が無数にあったこと。
案外檀家さんたちは「既に経験済み」であって、冷たい雨の中を強行するよりも・・・という方たちが多く、参拝は引き気味になったようです。
もし好天に恵まれたとしたら400回は超えていたかもしれません。
さぁ今年の大晦日、363日後はいかがな事になりましょうか・・・
①は世話人さんの考案、滑り止めに階段のエッジ部分に雑巾を置いて対応するの図。
ちなみに「エッジ」を直訳すれば「縁(えん)」。大谷翔平の入団会見で「縁を感じた」と言っていましたが「エッジ」では意味不明になりますね。
②は雨を避けてテントから溢れた人たちが本堂に。
知らぬうちに本堂の中はすべての暖房器具がオンになって待避所になっていました。中でカレーを食していた方たちもいらっしゃったのは驚きましたがこれは無礼講。
なによりも感動したのは拙寺焼香鉢の様子③。
お線香の立ち姿には仰天させられましたが、ここは冷静になると・・・当流の焼香作法をご存知ない方たちだらけだという証拠。
参拝者の「広がり」を実感させられました。
④一応は当流の焼香作法についての能書きは記してあります。
世に云う「作法」云々「恥をかかないために・・・」風のノウハウ本がありますが、私は恥とは思いません。事前に知っておく必要もなく指摘されたとしても「気にすること」もナシ。
「知らないから仕方ない」のは当たり前。
親が幼い子供の手を引いて鐘楼に上がり、子供が鐘撞をする姿をスマホで撮影している様子は微笑ましく嬉しいこと。
これは夜間ではできないことですね。
子供は幼少時、親に連れられて鐘を撞いたことを思い、またその子孫に同じように伝える・・・鐘撞を通して親や社会との関わりを体験しそれを思い起こすことで仏縁というものを感じていただければ、時間変更による鐘撞の再開は大成功ですね。
鐘撞による感動は子供たちにとっては非日常。
子供を集めて一緒に楽しみたい、それが婦人部他みなさんの思いです。
朝日新聞の論説委員の方には今回の御評価の件、有り難く思うばかりです。いつもとはまったく違ったご縁を戴きました。
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