二条良基屋敷跡? 御池通 烏丸御池周辺

昨日の午後五時にはNHK「シブ5時」の電波にのってさらっとお茶の間にお邪魔したそう。

ネタは例の件(お昼に撞く「除夕の鐘」)。

事前に横浜の友人ら一部の方には伝えておきましたが私の方といえば午前中の境内雑務の後遺症(冷えによる頭痛?)でスッパリ意識が遠のいて布団の中で夢見心地。

横浜の友人のlineによればチラッと出て微笑みを超えた笑い顔が鼻につくとのことでつした。

まぁ私としてはどう画像が使われようがどう他人様に評価されようがかまいませんし、仏頂面よりイイだろ・・・てな感じですので。

 

ところで今一番気になるのが大晦日の天気。

ずらーっとおてんとう様マークが並ぶ中、何故か31日だけに雨マーク。

つまるところ「そういうこともまぁ、あらぁな」ではありますが、晴れて欲しい、せめて曇りでも・・・と強く思います。

今となっては昼からの鐘撞きを楽しみにしている人がたくさんいらっしゃいますからね。

 

さて、先日記した足利高氏邸と御所八幡宮の間を東西に走る通りを「御池通」と呼びます。

やはり同じく京都の殆どド真ん中を南北に走る烏丸通や堀川通に直行して車両移動の利便性をとくに向上させていると思わせる道で実際に京都を走ってその利用頻度は特に高い道路です。

 

「池」と言えば六波羅の「池殿、泉殿」を連想しますが尚、今現在その「池」らしき窪地の存在を推すことは難しいというかやはり何処を見回してもそのような地を想像できません。

やはり六波羅の地と同様かつての池の存在を示唆しているのでしょうが、それが通説としては二条家邸内の小池(おいけ)説。

 

平安京の御所が現在の「二条町」になるようですが、二条家の邸宅があった場所と言われます。二条家となれば通称やはり「御所」で通ります。

そちらにあった「小池」の「小」がいつの間にか「御」に変化したのでしょうか。また信長の二条殿もこの辺りですね。

 

烏丸御池という大きな交差点がありますが、今その北側には「京都国際マンガミュージアム」なる施設があって通りから見ると若者が屯する様子がうかがえます。

 

実はここ数年来「春の納骨遠足」でこちらへ行ってみたいという希望があがっていますが、私としては各自「自由時間にどうぞ」でお願いしています。

その方たちは前2回とも休館日などが重なって訪問は実現できていないようですが、来年は大谷祖廟から本山経由で奈良方面に向かいますので来年もこの烏丸御池には立ち寄ることはないでしょう(場所はこちら)

 

①は京都駅方面。②がその逆。交番の名称が「二条殿」。

ミュージアムの裏、烏丸通と並行に走る通は両替町通でその辺りを金吹町。⑥画像の通り、江戸期には金座があったよう。