しかし長生き長生きと言ってもなかなかそれは難しいこと。
まず寿命については生きている者の得手勝手が通るものではありませんし、昨今は「健康寿命」がはやされますが果たしてその希望通りの健康がその時まで維持できるかどうかもわかりませんね。
それでいてその件(健康長寿)を大前提に年金をガッツリお国から「取り戻す」と勇ましい事を吹聴してもそれこそ空しい。
そしてその「ガッツリ」ですが、このほど年末恒例の厚生労働省のデータ「出生数と死亡者数」(1月から10月までの数値を元にした1年間の推計値)が発表されていました。
ということでこの1年間に生まれた子どもの「出生数」は、全国で94万人余りでこれまで最少になると。
逆に亡くなった人は134万人余りで戦後最多といいます。
「出生数」の94万人は初の100万人割れで「危急」を思わされた去年よりもさらに36000人減。これは統計を取り始めて(明治32)以降、最少となるようです。
ちなみに「死亡者数134万」は+36000です。
単純計算をしますと・・・
亡くなった人134-生まれた人94=40万人。日本の人口が40万人減ったということですね。
しかしコレ等、昔から予測されていた事で数字は驚く事でもお上の方では想定内の数字。
要はその件、ずっと承知していたことでそれをまともに腰を上げて対策してこなかったことでがイケません。
政治屋さんも「あとに任せる」的スタンスが踏襲されていて、問題から逃げてきたのです。
皆さん自分の事しか考えないというのはそもそもの「人の性」ですが、その道というものは「未来」への着眼が欠落していることですね。
庶民はせめて「健康長寿」に生き、年金をガッツリ「取り戻す」というのはあくまでも理想論。
社会保障・・・年金・医療・福祉等には財源が必要ですが、これだけ子供達が少なくなったらこれまで私の見てきた父母たちの厚い年金等は夢のまた夢ですね。
年金給付開始時期がずれ込む傾向にあって、給付金額もアテになりません。それにしても若いころから苦労して支払った年金を取り戻せないというのは少々気持ちが凹みます。
沖縄バイト時代に少々の期間、欠落が無かったワケではありませんが、年金の支払いは安月給には辛かった。
なんだかお国に「死に待ち」されているような気がしないでもありません。
とにもかくにもこの国はどんどん人口が減っていくの躰、少しでもその直近未来の姿を見届けるためにも健康長寿は理想です。
さて、足利尊氏(高氏)の縁起のイイ神社、篠村八幡宮について記しましたので以前記しそこなった京都での足利尊氏邸を。
以前皆さんに京都遠足でお付き合いいただいた京都文化博物館(洛中洛外図特別展)に向かった際、御池通を西向きにバスを停めていただいたわけですが、そちらが高倉通手前の朱色が目立つ御所八幡宮の前。
尊氏(高氏)と八幡宮が明治以降軽んじられた件は以前記しました通り(上記「御所八幡宮」)で割愛。
現在はその八幡宮から御池通を渡って高倉通を北に100mほどの「京都府保険事業協同組合」という建物の入り口に「足利尊氏邸・等持寺跡」の石碑が立っています。
設置されている掲示板の通り、尊氏の願掛け、運が味方になったら「三つの寺を建てる」というものがかなわない状況、取り敢えずといったら叱られそうですが、この寺を建てて「等持寺」としたといいます。
なるほど一休さんの如くの頓智が効いているようです(場所はこちら)。
勿論今はそのお寺も尊氏の邸宅跡を思わせる跡形も残っていません。
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