昨晩のNHK「クロ現」のスペシャル版には思わず時間をとってしまいました。
北朝鮮スパイが、ミサイル技術を盗んだのはウクライナなのかロシアなのか、誰が売ったのか。番組への告発メールから浮かび上がった銀行のずる過ぎる実態、そして行き場を無くす遺骨が急増しているという件。
どれもこれも「へ~え―っ」という具合に視聴させていただきました。
特に銀行の件、まさに「こりゃあ ひでぇ」と思わず口から洩れるほど。
以前拙ブログでも最近の銀行の実態、銀行ローンのサラ金化(14%金利といいます)について記しましたがこれは銀行窓口業務の赤字体質に「尻に火」という構図が思い浮かぶところです。
だいたい銀行窓口に行けばわかりますが普通預金も定期預金も金利など殆どナシに等しいくらい小数点以下「ゼロ」が並びますね。御時節柄とはいいながらその大層な高金利でリスクは別に肩代わりさせてオイシイとこだけイタダキの業態がそのカード乱発のサラ金業務でした。
そして今、銀行が傾注しているのは「銀行御都合主義」(利用者無視)の営業で、年配者狙いの外貨建て金融商品のセールスだそう。
現役の若手銀行マンやら「バカバカしくて辞めた」という元銀行員がスタジオにまで来て(顔は隠していました)証言していました。
「回転売買」という手法で投資信託等を何度も解約と購入を繰り返させて手数料を荒稼ぎするというもの。
銀行内での若手営業マンへの叱咤というか罵声などは当たり前の如くであたかもそれって「オレオレ詐欺」?の騙しグループのテクニックを連想。
そして秘密の銀行内評価リストというものが曝露されていました。まず外貨建てのセールスに重きを置くのはその手数料の額の大きさです。
販売実績者への銀行評価によると国内物の債権等の販売では「0.5%」に対して外貨建て保険などの販売となると「3.5%」となんと7倍の開き。
80代のご両親をお持ちの方々、銀行員の名刺の数多と外貨建て〇〇という証券の存在があれば、銀行員の「お願いセールス」の顛末の存在を予測すべきです。
売って買わせれば「2度おいしい」と証言者は語っていました。
外貨建てはそもそも為替変動も考慮しなくてはならない商品でそもそも80代の年配者に向いているものではないですし、その「売って買う」行為が銀行営業マン主導であって証書にハンコを押す当事者の判断能力が殆ど無いというところが問題なのです。それが銀行の御都合主義といわれる由縁。見方を変えれば詐欺まがい。
工事用だの支払いの金子をちょいとプールしていれば定期にしろだのイイ商品があるだのと窓口やら電話攻勢、「うるせえ、うるせえ・・・」と某お寺のご住職が仰っていました。
さて、昔から政(まつりごと)は各都合の悪いこと、嫌なこと(天変地異と飢餓、病気蔓延の類)は個々の人間の禍よりも悪霊、怨霊の悪さ(その主たる原因は某の非業の死と恨み)。
まぁお上がどう怠慢を曝して遊んでいた結果、庶民がどう惨憺たる状況に陥ったとしても、「悪いのは悪霊のせい」と決めつけていればOKですからね。
しかし本気でその怨霊・悪霊について信じていた時代があったという事は確かでしょうし、庶民レベルでもその信仰は浸透していたことも。
先般も都内有力神社の親族が自死にあたって「呪いをかけて祟る」の手紙を出しまくっていたといわれますが、それって一昔前なら「呪詛」といって取り締まりの対象でした。
いわゆる人形などを使用して「呪い」の儀式をしただけで、しょっ引かれるという重大犯罪でしたね。
まさか現代においてその手の威しが成立するのかとも疑問(宗教心欠落の昨今にあって)ですが、コレはそもそも人間生きていれば四苦八苦は付き物ですのでどこかの時点でそれが出現した際、案外心の弱い人は「やはり呪われている」という心境になっていよいよ病んでいくことを狙ったものです。
生老病死の四苦八苦の件、当初「私は無関係だから」という発想の方はその「呪詛」についてより一層効果があるのでしょう。
呪詛の効果は相手に「呪詛されている、呪われている」という事実を感づかせることで発生するといいます。
今の首相のやり口について「〇〇死ね」などという過激な書き込みを見た事がありますが、私から言わせれば黙っていても「いずれ死ぬ」。まぁ「呪われています」といわれて微動だに心を動かさない人だからこそあの仕事をしているのでしょうし・・・。
生老病死は本来人間の背負いこんでいるもので逃れようにも逃れられないものですからね。
勿論、私もいずれ死ぬ。
ただ自分自身がどれだけ走るか、精一杯に生きるかであって他者の生き死にについては無関係、ただどちらも「そうあった」と淡々と思うだけ。というか、絶対的に関与できないことですからね。
関与できるのは医者か人殺し。
さて、篠村八幡宮の境内には「八幡宮」を名のる以前からの神社の社殿があります。その名も「乾疫神社」。
丹波山陰道からの悪霊、疫病の入京を阻むというか足止めさせるために作られたといいます。
「御霊信仰」と呼ばれるものでその悪さする悪霊を祟るのではなく逆にまとめて讃えて「私を」幸せにしてもらうというものですね。
日本全国「厄落し」「厄除け」の神社は無数にありますが、この神社の創建は奈良時代といいますから、京の昔からの本気度が伝わってきます。
ちなみに「乾」は「北西」の意。勿論京都から見て。
境内には「足利高氏旗あげの地」の石碑が建ちます。
コメントをお書きください
小山昭治 (土曜日, 23 12月 2017 16:25)
今の銀行はひどい。
政治のあほさ加減のせいでお金の亡者。
サラ金業者の筆頭株主は銀行だもん。
そんな馬鹿な。
銀行がお金を貸さなくなれば次はサラ金へ足を運びます。
それを銀行は平気で行っているのです。
政府もそれを認めているようなもの。
馬鹿馬鹿しくっていやになります。
心ある銀行員はいやになるのがわかります。
いつの頃からお金優先になったのか。
バングラデシュの無利子、無利息のお金を貸すシステムが
ノーベル賞?をもらったけど、爪の垢でも飲んでもらいたい。
世の中全てが間違った方向へ行っているのかもしれません。
そういう自分もそんなところが出てきます。
とても「南無阿弥陀仏」では生きていけません。
自分の気持ちを静めてくれそうな新興宗教へ走るのも
わかります。
既存の仏教がどこまで対抗できるか考えてしまいます。
それを望むのが違っているのかも。
今井 一光 (土曜日, 23 12月 2017 19:29)
ありがとうございます。
世界中がおかしな方向に向かっていることは私も日々感じています。
しかし私はあくまでも南無阿弥陀仏。
「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておわします」、
「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」・・・『歎異抄』
また「(その信心につき)すかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、
さらに後悔すべからず」
「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
親鸞聖人の仰せの通り
「コレっきゃない!!」・・・ただそれだけです。