やはり相良の風は異常 11時開式の八王子へ向かう

昨日は八王子にて法事日帰り。

起床は4時30分で気温3℃でした。

5時30分前に出立したのは時間的余裕が欲しいためと、八王子城への再訪を考えたからです。法事の場所が八王子城へ続く途中の石材店ということもあってまさに好都合。

寺にずっとへばりつくような生活をしていましたので、八王子へ向かう事に何らの苦もありませんでした。日ごろの運動不足解消にもベストな城です。一言で形容すれば「関東屈指の山城」ですからね(かつてのブログまたはこちら こちらも)。

 

途中御殿場SAは無風で-1℃。八王子到着が8時過ぎで0℃でした。法要の会場はまだ閉まっていましたのでそのままお城の麓の駐車場へ向かいました。

0℃はさすがに痺れましたが無風で、歩き出せば汗がでるほど。

少し歩きだしたところでガッツリ着込んだジャンバーを脱いで適当に木に掛けて登りました。

どうせ誰も来ないだろうというところで帰りに拾おうという算段です。

 

前回は本丸までは着到していましたがその先の「詰城」なる場所はパスしていましたので、そちらとその上の富士見台が目標でした。

実は朝一番に富士山を撮影しようとニコンを取り出してみれば、ファインダーは真っ暗。電池を充電の為に出してそのままカメラだけを持ってきたことが判明。

ここでも自分のアホさ加減にがっかりでした。

ということでスマホの画像。

まぁ目的は運動不足解消ですから。

「詰城」へ向かう道は城郭好きにはオーソドックスながら比較的規模の大きい遺構が楽しめます。

まず、本丸からは来た道を戻らずそのまま高尾方向に降りるわけですが、スグに大きな井戸が目に入ります。ハンドルが付いていますので試せばかなりの水量で水が溢れ出ました。

 

当時の井戸跡の上に工作したものでしょうが、あの高い位置で水が簡単にこんこんと出てくるということはポンプの使用が考えられますが・・・まさかね・・・

圧巻だったのはその井戸のスグ下あたりから続く深い竪堀。

そして二つの大堀切の出現です。

こちら側からの防御性は堅牢さを思いました。

これを見せつけられて、人数さえかけられれば難攻不落の城として戦国史で囃されたことは確実と思いました。

 

「詰城」は尾根上に作られた本郭とのダブルトップ。面積としては本郭の1/4程度の感じです。八王子城についてまったく勉強不足ではありますが、この石柱に記されている「天守閣」の文字には首を傾げたところでした。

 

そして途中何度も案内板の記してある「富士見台」を目指しましたがおそらく最後のダウン&アップの段階でギブアップ。タイムオーバーでした。

引き返し始めると地元のお散歩の方とすれ違いましたが「ここで富士見台を諦めるとは・・」と「根性なし」振りを笑われましたが次の楽しみにすればイイということ。

「今日だったら富士山は勿論筑波山、男体山まで見えるぞ!!」とまで。

 

途中計8人(年配者)の人たちとすれ違いましたがうち2人はクマ除けベルを吊るしていましたので思わず「出るの?」と聞いてしまいました。昨日は富山でお婆さんが熊に襲われる被害がありましたからね。びくびくです。

すると「一応ね」とのことで、それでも一抹の不安は残りました。

 

下り路を急ぐとロクな事がありません。

この山は礫が多く、3回右足を捻りました。私の右足は捻りグセがついていて今のところ致命的な捻挫に至っていません。特にこの頃は落葉でのスリップも厄介ですね。

久し振りにいい運動をさせていただきました。

 

5時過ぎに相良に到着して唖然です。

風が吹きまくっていて閉口させられました。

八王子・高尾は無風でしたので。

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コメント: 2
  • #1

    河東村出身者 (木曜日, 14 12月 2017 06:00)

    新野親矩の跡取りの甚五郎もここで討死したのですよね。中山勘解由もひょっとすると東遠出身かも知れませんね。

  • #2

    今井 一光 (木曜日, 14 12月 2017 19:21)

    ありがとうございます。
    「ひょっとすると」と考えていくのは楽しい事ですね。
    歴史の偶然は必然であったことなどしばしばみられます。
    あのドサクサ(今川が消えて徳川か武田か)の遠州にあって小田原を頼みとしたことは
    あり得る事でしたが結果として選択は綱渡り的でした。
    たまたま八王子新野家は何とか残りましたが今川氏真はさっさと
    北条に見切りをつけたというか離れています。
    「今川家名跡」は潰しても彼の家系は残しました。
    継承できただけでも「いい御縁」を得たということでしょうね。