「まさか」2つ。
1つめ。狂気の米国大統領が世界の空気を読まない、我侭な強行事案に触れてしまいましたね。エルサレムをイスラエルの首都にすることを認めると。
これはイスラミックの人々は黙っていませんね。
この件もはや「つき合いきれない」レベルでいやはや勝手にしやがれ。どうなることやら。
この件で人生が変わってしまう人々多々あるのでは・・・
2つめ。滋賀県の長浜があのような雪景色になっているとは思いませんでした。もう今年は滋賀県の山城行脚は諦めた方がいいかも知れませんね。
以前も熊が怖くて、高島の清水山城行きを躊躇していることを記しましたがこの時期の滋賀県湖北のあれだけの積雪は想定外ですね。
淡々と本年の締めとしてあの山を狙っていたのではありますがこの冬の寒さと降雪という現実に不可を感じたのでした。
以前の夏、こちらの近くの大溝城界隈を歩いた際は「奥の墓道氏」が一緒でしたから、やはり彼に同行してもらうのが一番。
おしゃべりしながらが一番。熊の方が警戒してくれます。また下り坂の逃げ足に関しては私の方が早いので熊の注意は下りの苦手な彼がひきうけてくれましょう(登り坂は彼が一枚上手)。
熊は下り坂が苦手と聞いています。
長浜があの様子ならば琵琶湖の向かいの高島も同じでしょうからね。もっともっと寒さきは身に染みるような気がしますし何しろ熊に遭遇する不運に見舞われたとしたら私の首など一発で吹っ飛びそうです。
これは最近の熊の動向から「ホントに冬眠しているのか」疑心暗鬼になっているということと、その清水山城の住所地が「高島市新旭町熊野本」とあってまるで「熊」の出没を示唆しているよう。
私にとっては「シャレにもならない」ことです。
さて、私の「首」に関しては「自然(じねん)を本とする」ことに決めて一昨日、手術用に予定されていた予備の検査(殆ど人間ドックと同等)をキャンセルしたのではありますが、やはり一抹の不安は残ります。首の皮ならず骨の皮一枚のような感じですからね。
「おっちょこちょいにも程がある」と思われそうではありましたがMRIの画像までupしました。アレだけ大袈裟に周囲吹聴したその原因がキレイに映っているので、それを晒さなくては「適当言ってやがる」と一笑に付されましょう。
しかし医師の見立てではおかしなことを仰っていましたね。
それは人の首、頸椎から脊椎のラインというものは、左側向きに見て緩やかなS字を描くというのが普通の人で私の場合は首が「逆S字」の上に乗っているとのこと。
まぁこうやって私が「生きている」ことは確かで、今のところ「どうってことはなかった」で済ませてしまいましたが「逆S」は往々にしてパソコンのやりすぎが原因といいますね。
そういう意味からも2週間の入院は有意義だったのかも。
整体でも通おうか・・・ちょっと検討しています。
首繋がりということで首塚大明神については先日記しましたが
本日も「首」。
首塚の類は日本全国点在して珍しいものではありませんが、本日は「首途八幡宮」。息子の住む西陣にほど近い場所にその神社はあります(場所はこちら)。
こちらを南北に走る道路は「智恵光院通」であ奴の自転車通学途上にありますがこの字「首途」とは「かどで」のこと。読みもその通り。
通常それは「門出」と記す頻度が高く、こちらの文字はといえばその「首」の方にばかりに目が行って一瞬「何が起こった」と注目してしまいます。
「はなむけ」という字と同様のイメージを感じます。
「はなむけ」は現代にいたって難しい字(餞別の「餞」)などをあてていますが語源は旅立つ人の馬の鼻をその目的地の方向に向けることからですね。
「首途」も「はなむけ」同様、意味的に目出度い感覚がしますし、「向ける」のは人間の「首」であってたまたま「馬の鼻」という部位違いであったワケです。
義経が奥州に出立するに、まずはこちらからと参拝した伝承があります。八幡宮の前「智恵光院通」のお向かいは西陣中央小学校。
源氏は八幡宮と鳩、つきものですね⑤。八幡宮前(鎌倉)の鳩サブレが懐かしい。⑨六葉金物に猪目が見えます。
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野村幸一 (木曜日, 07 12月 2017 06:02)
逆S字ですか!私はストレートゆネックだと言われてしまいました。その緩やかにS字が本来の姿らしいですが私の場合は真っ直ぐ…
小山昭治 (木曜日, 07 12月 2017 09:11)
「整体」反対!
やらない方がいいと思います。
凝ったらやってもイイでしょうが何も寝た子を起すことはないでしょう。
今井一光 (木曜日, 07 12月 2017 09:43)
野村さん小山さんありがとうございます。
そうですね。あの画像の通りの繊細そうな場所をグリグリいじられたら
逆効果も十分考えられます。
それでは整体はやめて枕を考え直そうかと。