先日、顔見知りの観光課の方がみえて新企画を紹介いただきました。デスティネーションキャンペーン(DC)が決定したとの報せでした。
このキャンペーンとは「JRグループ六社(北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州)と指定された自治体に地元の観光事業者等が共同で実施する大型観光キャンペーン」のことで、2019年春(4月1日 - 6月30日)に静岡県が決定したということ。
これはそのDCの本番年とその前後1年(プレ&アフター)の3年計画で静岡の観光資源を売り込もうという企画です。
というワケで牧之原市の「売り込み」「ツアー商品」を企画しているそうですが、仮タイトルが「ぶらり田沼の旅」だそう。
内容はプレで下記の如くの予定。
本番年は資料展示物のバリエーション、時間、料金(3000円)が違ってくるようです。 ※現状あくまでも予定です。
- 2019年は江戸幕府の老中を務め、遠州相良藩の初代藩主として、主に現在の牧之原市相良地域の発展の基礎を築いた「田沼意次侯」が誕生して300年を迎えます。
- 市内に残る田沼意次侯ゆかりの史跡や文化財、市史料館所蔵の未公開資料など、約3㎞のコースを担当学芸員の解説付きで古地図を見ながら巡り、「いま」の中に「むかし」を発見する時空旅行を楽しんでいただきます。
- 所用時間180分
- 相良史料館―仙台河岸、湊橋、田沼街道―陣代山―値上がり松―浄心寺―百花稲荷―大澤寺―相良史料館
- 料金2000円/1人
プレは1日だけですが、GWの真っ最中が予定日。
本番年は5月に2回、6月に1回の日祭日に予定がありますので、その日は法事を入れられないですね。
正式発表はまだのようですが、拙寺としては全面的に協力させていただきます。
さて、先般書生さんたちが日本史を学ぶに暗記モノが多く、試験もごく些末な事案を問うような設問が見受けられるようになったということで教科書から抹消していくべき歴史人物について3人ほどが挙げられていたこと、私の記憶に残っています。
余りにも有名な歴史上の人物で、武田信玄・上杉謙信・坂本龍馬だったと思います。
教科書に記載するしないなどはどうでもイイことで、さして感想もなく「ふ~ん」と思ったばかりですが、その後に「竜馬は維新を導いた偉大な功績のある人だったので記載をなくすのはけしからん」と息巻いていた人の談が耳に入りました。
私はその件、倒幕とか大政奉還の件を言っていることだとは思いますが(叔父などもその通り)、「幕府は自ら瓦解」したのであってそれが「当然の流れ」であるのでそこを英雄譚として特定の人物の活動をピックアップされてもねぇ・・・という感覚。
よって記載があろうと無かろうとどうでもイイことではありますが、竜馬が幕府の終焉に一役買ったなどとは絶対に思ってもいませんね。
ただただ瓦解するタイミング、彼らが行った事を敢えて推測すれば崖っぷちにあった幕府政権の背中を人差し指でちょいと突いたという程度。
それでは以下、グラフを見てください。
叔父が当時の「張紙値段」資料をまとめてグラフ化したものです。
※「張紙値段」(世界大百科事典)
「江戸時代、旗本・御家人の俸禄米を金で支給する際の公定換算値段。幕府直臣のうち万石以下のものは、地方知行(じかたちぎよう)と蔵米(くらまい)知行に分けられるが、後者は蔵奉行から俸禄米を、春(2月)1/4、夏(5月)1/4、冬(10月)1/2と3期に分けて支給された。
全部を現米で支給することもあるが、通常は一部を金に代えて支給した。その換算相場を支払のつど、江戸城内の中ノ口に張紙したところから、この名があり、値段の表示は米100俵(35石)当りの金額で行われた。」
以下今井隆明氏作成のグラフ。
先般も記しましたように、江戸期の経済基盤は米。
「米本位経済」とは言わないまでも(一応は貨幣に換算して支給)幕府は一貫して米(農)を主体にした観念を捨てきることができませんでした。
まぁ右肩下がりの棒グラフ(一両でコメがどれだけ買えたか)を見てお分かりの通り、応永元年(1652)の一石八斗二升が幕末の慶応にかけて一斗程度と強烈なハイパーインフレの様相がうかがわれます。まず恐ろしいこと。
政権安定には経済の安定、それが鉄則です。
現政権が低金利を維持し、企業利益を重視したスタンスを続けているのもその理由。
今ではどちらの政権担当者が現れてもそこのところを思索・施策していればある程度の成果を得られることは承知していますが江戸幕政となると強烈な既得権と変化を嫌う体質がそれを許しませんでした。よってただただ経済の破綻を傍観するのみ。
余計な事を言えば田沼意次の如く政権を追われてしまいますからね。
「たら れば」ですが、田沼意次の重商主義を幕府が承認し、幕府基盤が農民によるコメ生産、新開地奨励から産業振興による商人育成、のちの幕府主導による開国と利権の独占などにシフトしていれば幕府瓦解とそれ以降の日清・日露から太平洋戦争まで、ひょっとして無かったのかも・・・などと絵空事を描いています。
どちらにせよ「松平定信の遺恨」が幕府経済ひいては幕藩体制を崩壊に導いたといっても過言ではないでしょう。
そして私のイメージは長州は好戦的の感。
少なくとも江戸幕府時代はいたって平和な時代が続いていたのですから。そういえば吉田松陰の名も不記載との提案もありましたね。
まぁ気持ちとしては大政奉還は「誰々の功績」というのはなし。幕府が「経済悪化を放置し勝手に瓦解した」というのが本当のところでしょう。
要は歴史というものを固有名詞のみの暗記物にするのではなく、違う角度からの掘り下げや検証があるべきだというのが、今回の不記載ピックアップの背景にあるのだと思います。
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小山昭治 (水曜日, 06 12月 2017 11:40)
こういう写真を見るとぞっとします。
「首の皮1枚でつながった。」そんなもんですね。
まあ よかったです。
痛くもなく何ともなければメスを入れることはないもんね。
私も下腹部に腫瘤があり、医者は切除した方がいいと言いますが
逃げております。大きくならなければいいのです。
今は痛くもかゆくもありませんからね。
今井 一光 (水曜日, 06 12月 2017 17:48)
ありがとうございます。
あの時は、あまりの痛みに「とにかく楽にしてくれ、切ってくれ」と思うばかりで
事を進めていましたが、時間が経つにつれて痛みを忘れるようになりましたので
今回「放置」を決め込みました。
この経験は次に痛みの襲来があったとしても「我慢すればいずれ消える」かも・・・を
学習しましたので、より忍耐力の増勢となったことと思います。
おかげさまと、もともと鈍感にできているようでそれが功を奏したのでしょう。
慣れれば案外OKのよう感じます。
私の場合は医者が「どっちでもイイ」風言い回しをしていたことから、「手術しない」
という結論にいたりましたが、経過を見ていく、つき合っていくという感じですね。
何より入院して動かない時期があるとそこから衰えて、老いの坂を転げ落ちていくという
パターンを見ていますから、余計な手術ならしない方がいいですね。
小山さんもその腫れ物とはだましだまし長~くつきあっていってください。
医者の顔色をうかがいながら・・・いざとなったら「切る」ということで。