昨日は夕刻より総代と一部世話人・婦人部の皆さんが寒い寒い本堂に集まって12月31日の「除夕の鐘」の最終打ち合わせ。
かなりの時間をかけましたが本題についてはともかくその会合の最後に「お騒がせ致しました」のご挨拶をさせていただきました。
夏の終わりにちょっとした拍子で首を寝違えたことをきっかけに首から上半身右側、右手の手先までが痺れ、時に頭痛を伴って周囲に泣き言を漏らしていたことがありました。
この件、一部檀家さんと婦人部の皆さんには、通院の結果「手術」の方向にあって来1月には2週間の入院がある・・・ということを告げていました。
早とちりな方は「今既に住職は入院している」ので「見舞いについて・・・」などの話が行き交っていたとも聞きます。
左図が私の首のMRI画像です。見た目「かなりヤバそう・・・」な感じはします(4番と5番の上下空間が狭いのと神経部分を左右から狭窄している様子)。
「なんか切れそう」な感じも・・
私は火葬場で故人の「第二頸椎」を大谷祖廟分骨用に小さな骨壺に収める場面に立ち会いますが自分の頸椎と神経の様子がこのようにハチャメチャになっているとは思いもしませんでした。
ちなみに第2頸椎は「オシャリサマ」と言って「分骨はコレ!」という具合にこの地区で重宝にされている部位です。
人によっては「ノドボトケ」とも言っていますが本来のそれとは違いますし、宗旨的に当流にはこれや遺骨をどうこういう指定はありませんので、私はその件、何もこちらからは口にしません。敢えて「コレ何?」などと聞かれれば「第2頸椎」しかありませんね。
医学的に言えば「首が回る」メカニズムはこの第2頸椎の特殊な突起に乗っかっている1番目から上が回るワケです。
また世に云う「首が回らない」理由はこの箇所の損傷よりもそれを周りから包む筋肉や筋の痛みまたは、「金欠病」のことです。
私のこの状況に至った理由を追想するに高校時代から以降サッカーチームを作るなどしてサッカーに興じていたわけですが思い切りヘディングをしたり、相手と衝突転倒することもありました。何度か頭がクラクラするような思いもしています。
またリレーのアンカーで接触転倒し肩鎖骨折したり、海系のお遊びで嫌というほど水面に叩きつけられて頭や首を打っていますね。この辺りの経験から異論もありましょうが、「スポーツなんて体にいいワケない」というのが最近の私の持論となりました。
アメフトやアイスホッケーをしていた友人には、当たり前の如く前歯がありません(義歯)。そしてあの世界、脳震盪2度目で即引退といいますからね。そして後遺症も若くして以降一生つきあっていくようです。
上記七転八倒の痛みへの泣き言に及び通院、「手術」の大命題に対して勝手な達観を決め込んでから数か月、明日の予備検査の日と来月の手術に心の準備をしていたのですが、なぜかこの1週間、首の痛みと痺れは消えてしまい、今はいたって好調。
一時は寝返りもうてずに夜中にヒーヒー言っていたのですがそれがまるで嘘のように改善しています。
何も対処せずただいつもの「痛みは無視する」作戦のみでした(今回は「無視」しきれなかったのですが・・・)。
よってその会の終わりに「お騒がせして申し訳ありません」と。手術をせず今は様子をみることを伝えました。
何故にそれほど良くなったの?と問われましたがすかさず阿弥陀さんの方を手で指し示し「有難し・・・おかげさま・・に決まっています」と。
体が冷えて血行の悪くなる季節に向かっているにもかかわらずまさかの変化を得ました。
痛みと付き合っていくか手術で一発完治を狙うかの選択でしたが、とにかく「今」痛くないなら何もすることはないという結論に至ったのでした。ただし次回「何かあったら・・・」と相当重篤な状況(医師)を覚悟しなくてはならないでしょうが。
何より一発完治の保証など無ければ逆にリスクもありますからね。
当流には「自然法爾」(じねんほうに)という大切なスタンスがありました。
ちなみに先週の大河ドラマで「自然」の文字がいきなり出てきて、一瞬どう読むのか・・・と耳を澄ませましたが「じねん」読みしていました。
予備検査をすべてキャンセルするために病院へ赴きます。
さて、首繋がり。
昨日の老の坂峠にあるものといえば首塚大明神。各伝説は派生して脚色物語ありますが、この首塚は鬼の首、酒呑童子の首の事。
詳細境内石板の内容を見ていただくということで割愛。
一番最後の画像からもその形状がお分かりになるかと思いますが私が感じたのは円墳。
首の主はどなたか知りませんが誇張した言い回しは全国各地に残る鬼伝説と同様でしょうね(場所はこちら)。
現在、北朝鮮の漁船が北海道の島に来て「盗人狼藉を働いたのでは・・・」の件、地元漁師が「怖い怖い怖い・・・」と仰っていましたが、それと同じパターンでしょう。
古来から異人、異教徒、盗賊、反大和、反逆の徒を「鬼」と設定していたのではと勘ぐられる件多々ありますね。
彼らを無事「成敗一掃」してヒーローになった武家の名も多数。結論は「鬼」なら成敗(殺)されて当たり前の風潮があったということ。
本物の鬼は「私の心の中にいる」というのが当流の考えでした。
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