何が「親切」か、いやサービスなのかそれともコンビニエンスなのか・・・。
はたしてそれがそもそも必要不可欠のものなのか・・・
今拙寺では結構面倒くさい話題になっています。
もっとも私としては「そう突っ込んで関わることはない」というのがそのスタンス。しかし総代等一部の皆さんの考え方は「もっと手厚い配慮を・・・」検討して欲しいようです。
それは、法要等参詣の方々の車両対応についてです。
車を駐める場所が僅少であるからの悩みですが、私からすれば「ないものは仕方がないのでしょうがない」というところ。
先代、私の父の際にはその辺りの件はまったくノーケアでしたし・・・。
まぁ時代の流れというかこのくらいの手配は・・・ということで
私は春と報恩講そして最近では大晦日は、波津の公民館や小堤山公園の駐車場に回って駐車していただくよう、看板を配するなどして分散を期待しています。
この1~2年は駐車場に案内役を配していますが、今回の報恩講ではその案内役を2倍(4~5名)に増員したほど。さすがに交代要員がいなければ辛いですからね。
この辺りの件もこれまで無かったことですので「あれば親切だな」ということでアドバイス通りにそのシステムを採用したところでした。
先代の時代はゼロでしたので、案内人が不要であるとは思いませんが、それなら路上に立つのであれば法要に出て頂いた方がイイのでは・・・とも考えてしまいます。
すべてが終了したあと、担当者によれば「キーを付けっぱなしにしてもらって車を詰めこんだ」とそのテクニックを披露していただきましたが、これを聞いて私はひっくり返って驚いて「それはやめて欲しい」と声をあげてしまいました。
これまでは「顔見知り」限定の苦肉の策だったようで、私もそんなことも多少はあるかも・・・と問題視していませんでしたが、その流れで公民館の駐車場でもその「サービス」(車の入れ替え)が行われていることを聞いて愕然としたのでした。
まず「それってサービスじゃないよ」です。
「キーを付けといて」は私にとって考えれば他人様に運転を一時的にしろ任せることで結構ナーバスな問題。嫌な人は嫌でしょう。
そこへ来て、各種問題だって浮上してきます。
羅列すると
①車両移動中の事故への責任対応
1 誘導
2 代わりに運転
②車両内紛失物への責任対応 ですね。
要はそもそも管理不可能であって過大なリスクに配慮されていないということです。
物損事故ならまだしも人身事故などのその責を負う事になることを考えていただきたいのです。
「①の2」 代わりに車両移動中での人身事故は刑事事件(過失致死傷)にもなりかねない事案ですが 「1誘導中」 であっても過失(過失-違法行為)があれば50%の負担割合 民事)もありえます。こじれれば裁判事案となりうるものですね。
特に私が「止めて欲しい」というのはこれは自己責任では済まないことですね。
「使用者責任」(民法第715条)は当然の如くで拙寺と代表者である私の管理責任を問われます。
重大な事案ともなれば下手をすればイベントどころか寺は潰れます。
そして実際には関わりのないことなどを主張されるなどの場合も想定。車両の傷、紛失物について「やった-やらない」の問題を惹起しますからね。
それだけ大きな「責任を負う」ことになります。
そうなれば檀家さんと檀家さん、そして檀家さんとお寺との関わりもギクシャクしだします。
よって「そんなリスクは負う事はない」というのが私の意見です。
じゃあどうするの?と言われれば「告知と案内」を厚くして、もし要員を配置するとしたら「あっち」「こっち」程度の案内にしていただきたい。それが私の切なる願い。
①はお寺の駐車場でよく見る注意書き。磐田連福寺駐車場の看板をここでお借りしました。
拙寺ではその手の文言は記していませんが、こちらでは自ずとその責任についてタッチしない旨記しています。
上記、「滅多にないこと」と思いますが、「手出し無用」の範疇であってリスク管理からして首を突っ込んではいけないことでしょう。
どなたかが「小堤山から歩かせるのは不親切では」とも仰っていましたが、私は「まったくそれにはあたらない」と申しています。再三記しますが「タッチしないファジー」のスタンスがいい。
たとえば近隣波津佐和神社の祭礼等、参拝者に駐車場の手配をするでしょうか。みなさん「徒歩」は当たり前です。
サービス違いでもありますし、寺の行事にそこまでのコンビニエンスが必要でしょうか。
大晦日の「除夕の鐘」のために新しく駐車場を確保するという案も出ていますが、私はこれ以上の経費をかけることに二の足を踏んでいます。
ボランティア重視のイベントにおカネをかけてどうするの?というところ。
保険を掛けることも提案されましたが、保険の選択とその経費、なにより何かあった場合の事後事務処理に関して寺が背負っていくことは無理ですね。
大手の会社の如く「事故係」の役と対応マニュアルでも新設いただければ検討できましょうが・・・。
また、先日は第三者のお節介的アドバイスが平穏な家族や組織に波風をたてることがしばしばあることを記しましたが、相続の件でいっても波風をたてるのはやはり相続に関係ない外野の意見です。
「相続を争族」に変貌させるその方たちとは主に相続人の配偶者と配偶者の父母親類です。
要は「取り分」の主張合戦ですが、そこで「法定相続」を主張されたとしたらそれまで培われてきた「家」を主とした生業の継承が断たれる例を先日の報恩講で掛川公証役場、公証人の大霜憲司氏がこの史料を提示されてお話していました。
遺言がしっかりなされていればこんな争いが起こって「家が潰れる」までは至らなかったかも・・・という例②画像です。
今現在、「葬儀が争議」の場と化すこともしばしば。
「後生の一大事」とはまさにコレの事?と思わられるばかりです。
特にみなさん自身の死、自身が起こす事故については案外知らない気づかないもの。
こればっかりは「しらざぁ言って聞かせやしょう」という具合の口上を述べたとしてもやはり「でも自分は大丈夫」であってどうにもならないという傾向。まったく口惜しいことです。
誰も人は事故も起こしますしその時が来たら「その時」なのです。
ああ「後生の一大事」耳が痛いですよ。勿論私の事も含めて。
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小山昭治 (金曜日, 17 11月 2017 09:32)
駐車場の件に余分な心遣いは不必要ですね。
商店街のイベントも駐車場所は指示しますが「後進への誘導」は
「するな!」と言います。
バックの誘導をして事故でも起せばこちらの責任。「君子危うきに近寄らず」。
奈良では、秋篠寺は駐車場と書いてあるだけ、法起寺はあぜ道に止めます。
自分の判断で公序良俗に反しないように駐車するのが一番。
遠くても駐車場の指示がしてあればそれで十分だと思います。
(ただし 地図は欲しいかな)
今井 一光 (金曜日, 17 11月 2017 18:22)
ありがとうございます。
わたしも「各自ドライバーの御判断」に委ねるべきと思います。
アドバイスを生かしそれがこの世の大勢であることを主張させていただきます。
地図の件、対策を追加しようと思います。