先般より家族の方より依頼されていた「説得」について、報恩講準備やらいろいろで関与できないままになっています。
家族の方には「月曜日(先週の)には声をかけてみます!!」と伝えていましたが、その日は免許証交付の「最終試験?」(そう仰っていました)ということで先方からお断りされてしまいました。しょうがないと諦めムードで過ごしていますがどうなったのでしょうか・・・
そうです。高齢者の自動車免許更新のお話です。
端的に言えば「本人は乗りたい 家族はNG」という構図で、今の日本全国「家族のわだかまり」要因の代表的なものとして問題提起されていますね。
高齢者にとっては大切な足を奪われる事に我慢がならないことでしょうし家族にとっては事故など起こされて他人様を傷つけたら・・・と頭の痛い大問題です。私はどうにか説得していただいて免許を諦める方向に向けて欲しいと切に頼まれていたのです。
家族の言い分としてはお国の審査は結構緩めで、基本的に合格を出してしまう。よって、もはやお手上げであると嘆いています。そしてそこまでご本人が免許証取得に自信があるというのはほかでもない、周囲友人たちの美辞麗句―「まだまだ大丈夫!!」と太鼓判を押し「ヨイショする」雰囲気であってそれへの恨み節。
褒められれば当然に本人は嬉しいでしょうしますます自信だけは増幅してきます。「私は大丈夫!」です。
そうなれば家族の苦言を聞く耳はもはやないというのが実情で家族内はぎくしゃくし続け結局何らの解決にもつながっていかないというワケです。
実態を把握していない第三者のその手の発言はおうおうに面倒くさいことに発展します。
他家の色々についての評価・判断(どれがイイこれがイイ)についてその家の関係者に対しては口を謹んだ方がよろしいのでは・・・と思うことは多々あります。
それを「お節介」ともいいますがせいぜい全然関わりのないご自身のお友達にする「陰口のレベル」でお停めになった方が得策。
まぁそういう方はその手のおしゃべりがコントロールできない性分のために波風をたてるわけですが・・・
これも世間様ではよくある話です。
先日の報恩講に訪れた私の妹に対してある檀家さんの奥さんの表現について拙寺お方様が聞いて「立場がないわなぁ」と。
妹はその辺りの件は分っている筈なのでそのオーバーな美辞を聞き流したことでしょうが、「お母さんは元気だよ」の声掛けはまぁ普通ではありますが(ただしその方の管理下にいるような物言い・・・私は何でも知っている・・・)その後の詞にショックを受けたとのこと。
当家北の方(母親)は以前ブログにても記していますが左手上腕にチタン合金が入り、思うように手が動かないうえ、腰の骨折から下半身の筋肉が落ちて車椅子状態での生活を余儀されていて現在、施設に入所させていただいて面倒をみてもらっています。
そこへ来て、「あんなとこ入れられちゃって」です。
あの施設で一番の健康体であるのだから「それはおかしい」との御判断。
これは当家、特に坊守(お方様)の差配がオカシイとの談と感じる他はないでしょう。
私どもには過大なただの「リップサービス」(おべんちゃらとも言うようです)程度にしか感じられませんが一般家庭ではこの手のお節介から家中のゴチャゴチャは広がっていきます。
兄妹兄弟関係が悪かった場合は特にそうでしょうね。
たとえばそれをきっかけに相続、法定相続の遺留分を強引に主張されたとしたら古くから続く家・・お寺などは維持できませんね。
当家でいえばさすがに境内地他、本堂は宗教法人で登記されていますが、「什物」の考え方としても一概にとは言えませんが「私物」であって相続ともなれば分散することは必定。
門徒寺はその傾向(私物)が強いものがありますが、他宗の寺において一昔前は前住が出たあとに「何もなかった」などということもよく聞いた話です。
ちなみに拙寺駐車場と周囲は祖父名義のまま移転登記が出来ずに固定資産税を払い続けています。そのくらい家族の中というものは揉め、絡まった糸は解けにくくなってしまうものなのです。
通常上記のようなパターンですと・・・、
実際に母親を入所させてそれを維持しているのは兄の責任ではあるものの、妹からすれば「そういうことならもっとまともな扱いをしてくれ」と思うのは当然かもしれません。
すると兄としては「月に1度くらい遠方からやって来やがって好き勝手な事を言うな」となります。
要はそのとびっきりの煽て文句は下手をすれば家族内の騒乱をけしかけているのと同じになってしまうのです。
そして「まだまだ大丈夫 家に連れ帰れるくらい元気(家で生活ができる!!)」との意見をも同時にされているようですが、私どもはもはやそれは選択肢から外しているのです。
無理だからそう(外部にお願いしている)なっている、ただそれだけですね。
理由は色々ありますが、車椅子対応の家に改装しなければならないということと、当家奥方の負担が増えすぎて寺の仕事が遂行できなくなることが見えているからです。
一昔前なら致し方ないことだったでしょうが・・・。
また奥方の叔父は車椅子対応のために家の中をバス・トイレ含めて改装して約1000万円の経費が掛かりましたがそののちスグに亡くなってしまいました。当家にはそれを負担する力はありませんし。
安直な美辞麗句、リップサービスはしばしば問題を起こします。
他家の固まった方向性についてとやかくちゃちゃを入れればえてして家中ゴチャゴチャの引き金に繋がることがあるということですね。
まぁ私が感じたところとしては・・・
あの方の件でいえば、しばしばあの施設に出入りしているようですが、「あんなとこ」の表現には違和感があります。
入所している方々もそうですが従事している方々にも失礼すぎの感。
また私が奥方に声を掛けた言葉は「仕方ないね」と。
なぜならばあの方は「婿さんを取った人だから・・・」と無茶な物言いをして双方納得していました(だからといってすべてがそういうことになるとは断じられませんが)。
これは他人(旦那さん)の親を看た経験がないから・・・ということですが、まんざら外れていないかもしれません。
私は「あんなとこ」と言われる施設に自身入所することになったとしても「仕方ないこと」と割り切れる自信はありますが・・・
そして少なくとも私はあの施設について「あんなとこ」という軽口はどんなに相手への「リップサービス」ということでも使用することはないでしょう。
「あんなとこ」に入れるということは良かれ悪しかれ「長生きの証で一つの縁である」と思っています。
どなたでも最期は御厄介になるのですがねぇ・・・。
自分だけポックリ逝けると思ってそんな軽口を漏らすのは傲慢そのものかもしれません。
まぁ人様のことより私のその時のこと・・・まったくわかりゃあしませんが。
画像は菊川某所の景色。①②野焼きとカラス。この町内で野焼きなどすれば119を呼ばれます。秋の景色。
③雨のあとに立ち上がった虹。
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小山昭治 (火曜日, 14 11月 2017 08:58)
おやおや 大変ですね。
よくある話と言えばそれまでですが、その場にならなければ人様には
わかりませんね。
一日中同居している人とたまに来てちやほやする人では違いが出ます。
いっそ その人にずっと面倒を見てもらえばわかること。
そうも言えませんがね。
ま 人の気持ちは他の人にはわからないもの。
愚痴も聞いてやって下さい。それだけで気が晴れることもあります。
私もそうでした。愚痴を聞いて何か対策をすると、しなくてもいい。
かえって反発もあるかもしれません。
ただ愚痴を聞くだけで言い。
女心は難しいものです。
今井 一光 (火曜日, 14 11月 2017 19:34)
ありがとうございます。
着実に齢だけはとります。こちらの方もうまいこといかないボヤきが出始めています。
まったく歳を取ることなど他人事ではありませんので、相談を受けたり
巷間井戸端レベルの話に付き合うというのは本意ではありませんが仰るように
「聞く」ということは私の仕事でもありますからそのスタンスだけは忘れないように
したいですね。