菊川の牛渕川と相良街道(塩の道)堤城、山の麓の墓地は以前から確認していました。
場所は今のバス通りから少しばかり東側、相良街道と呼ばれる場所で地名でいえば「志瑞」(しずい)です。
その墓地は「志味堂」と呼ばれる地蔵堂が建っていて、卵塔の数基からどちらかの廃寺跡が推測できる場所です(場所はこちら) 。
私は何の気なしに墓場に訪れますが、まずはお寺の境内の墓地とは違う地元の区や個人の管理する墓地にて他者とすれ違う確率は低いものがあります。というか「まずはない」・・・
しかし稀に地元住民とバッタリすれ違うことがありますが、そんな時は必要以上に笑顔でもってこちらから声を掛けることにしています。
何度か通報されたであろうと思う事態も経験していますしね。
一般的に「墓場によそ者」は「まずはない」のが常識です。
この世情は悪しきものがありますので、致し方がないのですが、今、墓場・社・祠など宗教施設で頭の痛い犯罪被害は仏像と賽銭の盗難です。最近ではオークション出品の為に石仏を盗む輩が出現しているようですね。
当然に私とすれ違った方はその辺りの件につき「ピンとくる」ことは当然のことです。
モノをかっぱらった形跡が無くとも下見の可能性があって「怪しさを醸し出せば」有耶無耶が残るはずです。
ということで私は「その辺のかっぱらい、下衆の類ではない」という事を主張するためにとびっきりの笑顔で「こんにちわ~」です。そして墓場を歩いた所感と思いついた疑問をぶつけるのです。まぁ「墓に関しての質問」などはうしろめたさ満点のコソ泥には出てこないでしょうし。
その際の私のその女性への質問は
①鈴木・相羽・加藤さん三家の墓しか見当たらないが②こちらの墓地で一番古そうな墓石を見つけたがそれはどちらの家?でした。
すると加藤家は比較的新しい家で相羽家は古くからの名主で昔からその本家を地区では「相羽さま」と呼んでいたそう。大地主の家系で分家が広がったそう。鈴木家はその奥様の系統で私が指摘させていただいた「一番古そうな・・・」の持ち主でした。
また、以前から賽銭泥棒がやってくるという事も。
私の知っている、墓石とその方が嫁入りして以来義母さんから教わって一緒に花を添えている「三界万霊」についてのうんちくを語ったあとに、「あなたはどちらから?」と逆質問されました。これも当然の流れではあります。
「本当はあなたは誰?」というところが本意なのでしょうが私は適当にはぐらかそうと「相良からです」と。
「坊主です」などと言っても逆に嘘くさいことは分ってますので・・・
場合によっては名刺を出すこともありますが、その日は持ち合わせがありませんでした。
するとその方はいよいよニコニコしながら「相良といえばヒロコさんを思い出す」と仰います。
私の「ヒロコさん」と言えば先般亡くなった永田裕子さんですが、まさかと思っていると「旧姓は野村で今は永田さんでお隣が紙屋さん」・・・ということで確定。そこから私の存じ上げる名前と色々な懐かしい話が飛び出してその墓場での長話となりました。勿論私の「寺の者」ということも明かして・・・
どうやら永田さんが亡くなった事は知らなかったようです。
そちらの鈴木さんは屋号は「酢屋」で相良街道沿いで造り酒屋をやっていたようです。ご主人まで呼び出して紹介してくださいました。
ご主人は体を壊して造園業を廃業したそうですが、現在はご健勝。皆さんとこちらの祠に祀られている仏のおかげさまであると申してました。そういえば永田さん宅は以前から春と秋の年二回、植木屋さんが入っていたことを思い出しました。
この祠には昔から家の手配のできない方々が住まわれたといいますが、そのおかげかもろとも皆成長、成功しているとのこと。
しきりに仏縁のなせるわざに感謝して別れましたがひ孫を3人?持つ幸せ満点、笑顔の奥様から「また来て」と言われてその日はとても上機嫌に過ごしました。
①②は拙寺本堂。父が植えた柿の色がポイント。すべて鳥たちへの「志」となります。③が上記「志味堂」墓地④は鈴木家の「墓地で一番古そう」と指摘した宝篋印塔残欠。以前は所有されている背後の山の中腹に墓地があったそうで、すべてを降ろすのに相当の経費が掛かったとのことです。
⑤は志瑞屋台小屋、相良街道から東。
⑥は墓地前の道路から西。堤城の段丘が見えます。
コメントをお書きください
河東村出身者 (水曜日, 01 11月 2017 06:52)
中学の同級生の松井さんといえば、住所はしずいと相場は決まっていましたので、名前が見つからないのは菩提寺の違いでしょうか。漢字で見たのは初めてでうれしいです。
そういえば鈴木東洋先生のお父さんの実家もこのあたりですね。
今井一光 (水曜日, 01 11月 2017 07:31)
ありがとうございます。
ざっと聞いたところそちらでは加藤家を除いて堤城屋敷跡の墓地を管理する好運寺の檀家さんとといいます。鈴木東洋氏も好運寺の檀家、新野の左馬之助ブームの旗振り役としても好運寺御住職が牽引しているとのことです。あのとき「松井」さんの存在については聞くのを忘れてしまいました。拙寺にも1件、檀家さんがありますが今度伺ってみます。
小山昭治 (水曜日, 01 11月 2017 09:12)
アレー 奇遇ですね。
確かに私の庭の手入れは小笠の鈴木造園でした。
野村さんといつも一緒にしてもらいました。
今はその後を紹介された方にやってもらっています。
鈴木さんのご主人が元気そうなのは何よりです。
奥さんの作る漬け物がおいしかったのを思い出しました、
裕子さんのご縁ですね。
野村さんでは裕子さんの後 庭屋さんは入っていません。
相続は難しいですね。
今井一光 (水曜日, 01 11月 2017 17:53)
ありがとうございます。
まさに「ヒロコ」さんのおかげです。
その人徳は私の考える以上のものだったようです。
そう思うと色々な意味で「勿体ない」を感じざるを得ません。