まさかと思った晴れ間の下、植木鉢の避難作業を行いました。
あの天気図の台風進路を見てボケっとしていられる人はいないでしょう。しかし杞憂で終わればそれでヨシ。
各地区お取越しの真っ最中ですが、今の話題は「祖父母の投票はどうなった?」です。
齢を重ねていけばもっともなことですが、当然に不自由な生活を強いられている中、せめて国民の最低限の権利は行使させてあげたいというのが家族の思い。
ところがなかなか痒い所に手が届かないというのがこのお国の事情。
まあ年配者は切り捨てられているという感覚がしないではありません。
「もうムリ、棄権した」という声もちらほらする中、しっかりと要望も聞こえてきます。
①大小かかわらず各施設くまなく出前投票所を設定して欲しい
②不在者投票所をもっと増やせ
③投票所の靴を脱ぐ場所は面倒
投票者に若者を発掘する(中途半端ですが)方向性はうかがえますが年配者のことはまったく思考の範囲にないですね。
今回の投票箱工面のドタバタ(牧之原市は最低5個)を笑って聞いていましたが今度は新調した「投票箱の置場が無い」という笑い話もありました。
さて、匂坂城について適当な事を書き散らしてきましたが、ここへきてもっと適当な思い付きを記します。
特に匂坂は社山城から「こんな場所に・・・」なぜ・・・というのが一番にあることを先日記しました。
天竜川東岸の河川敷とは言いすぎではありますが、水害に対しての脆弱性は顕著のはず。
おちついて雨季の夜半に枕を高くして眠っていられないような場所を感じます。治水への技量がまだまだの時代ですからね。
ということで匂坂の本城はここではなく背後の段丘の上にあったのではないかと思うのももっともなことで・・・
では匂坂城推定地に建つ石碑の辺りには何があったか・・・といっても遺構の「い」の字も残っていませんので全くわかりませんが私が思うに匂坂の天竜川西岸に目をやるための出城的要塞施設だったと思っています。
何故にしつこく記すかと言えばあの位置は戦略的メリットを感ずるとすればその西を意識した施設のほかはあり得ないからです。
そして、では匂坂の本城は何処?ということになりますが・・・
以下私の勝手な思いで、地元の教育委員会の発掘調査でもそのあたりは確定的な伝えられ方をしている「長者屋敷遺跡」です。
地元調査では「奈良時代」の役所跡の遺跡とのことです(場所はこちら)。
発掘調査の結果、奈良期以降の遺物は出ていないということからその役所としての施設を判断されているのでしょうが、ド素人の戦国好きの私がそちらを歩くと・・・敷地は100×80mの四方とまさに国人領主の館址を連想させられます。
ましてあの明確に残存する掻揚土塁を見て匂坂氏はこちらに居たのでは・・・などと連想してしまいました。
殆ど段丘の西端にあたりますし、平地上のあの砦と合わせた立体感を西岸からうかがえば、かなりの強靭さをも訴えることができましょう。
かつて磐田市には遠江国分寺があるほどの政治の中心地でしたからこの手の奈良時代施設があったというのは勿論合点がいくところですが、あまりにも匂坂氏との関りが近くて捨てきれずそのような思いを記してしまいました。「長者屋敷」の名称は地域の伝承からなのでしょうが、その意からしても奈良時代役所跡とは飛躍し、むしろ領主系を連想する名でもありますね。
冬場の散策にはもってこいの場所ですからその辺りの私の感覚を味わっていただければ幸いです。
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