井伊直虎お馴染み徳政令文書 「匂坂直興」

すでに静岡では10月の1か月平年分の降雨があったとのこと。

まったく雨ばかりで日照なく低温化も招いています。

一昨日の晴れ間の時間、1か月ほど前から居ついている野良猫の為に綿を入れた発泡スチロール箱を外部にフィルムで防寒した木箱に嵌め込んで置いておきましたが、案の定その中に入っていました。雌猫ですから、今後の対応を考えなくてはなりません。

 

そして台風21号はまるでこちら静岡に狙いを絞った如くのコースを辿るようでこれは頭痛のタネ。935hpなどの勢力のまま来られたらたまったものではありません。

週末にかけて色々な予定が入っていますがその間隙をついて境内の植木鉢の退避もしなくてはなりません。

 

さて、「匂坂」といえば天竜川東岸の匂坂氏。

井伊家との関りでは以前「社山城」で記しましたよう、井伊直平が攻城したという説がありました。まぁそのあたりのあったかなかったかについてはまったくわかりません。

 

ちなみに昨日記した真如寺の件ですが、無住となるとではどちらのお寺が法務等の手を差し伸べているかと言えば・・・社山城麓、豊岡の慈眼寺だとのこと。

社山城は匂坂家が元居た場所ですからね。

500年の関わり合いも感じたものです。

 

また井伊に関わる匂坂といえば「匂坂直興書状」でお馴染みの「匂坂」があります。

大河ドラマでは「徳政令」を出すのか出さないのかのシーンが思い浮かびますがその件の根拠が祝田の祝田禰宜について(井伊直親はこちら)の文書でした。

「井伊直虎関口氏経連書状」「井伊直盛書状」がありましたが特に直虎や新野の名が登場することによって重宝された文書でした。

 

ところがドラマ内でも小野と密談する胡散臭そうな禰宜が演じられていましたがこの件、実は関口氏経よりももっと裏で動いていたのが「匂坂直興」という人なのです。

彼が関わる永禄十年の6月から翌年まで1年間の「徳政」に関する文書が4通ほど残っているのでした。

 

そこで大河ドラマでの登場が不発に終わった「匂坂直興」ですが、彼は不詳なる「匂坂」です。

彼の文書はすべて駿府から発せられ、今川氏真との仲介が絡んでいますので今川家重臣クラスというのは間違いないところ。

昨日も記しましたが匂坂長能が家康人質時代には岡崎城に入っていたことからも匂坂家は今川家臣団でも有力武門だったことはわかります。

 

匂坂家は社山城で記しましたがやはり元は「藤原流」が示唆されているところであって今川家との合流は歴史の成り行きと思われます。そこで思うのが匂坂直興の「直」の字。

匂坂家の通字は「長・重」の類ですがこの彼の「直」を見て、

井伊との関わりを感じました。推測は色々広がります。

 

親族で紛争を起こしたことがきっかけに今一つ江戸幕府内で頭角を表せなかった匂坂氏ですが遠州には各血脈を残しました。

名家匂坂家のあの姉川の勇壮果敢はもう少し評価されてもいいですね。

以下書状。

 

①匂坂直興書状(永禄十年1567)6月30日

 

彼一義種種越後殿ヘ申候 先年御判形のすち

めにて候間 御切紙御越ともくるしからす候へ共

我等共御奉公まへにてさいきよニむすひ候て 御ひらう

なきまへニハいかかのよしおほせ候 小但(小野但馬)へ

申候而 次郎殿(直虎)御存分しかときゝとゝけ候て 早々被仰

付候而尤之由 次郎殿より関越(関口氏経)ヘ被仰候様ニ小但ヘ

可被申候 我等方よりも小但ヘ其由申候 たとへ次郎殿

より御状御越候ハす候共 小但より(安西)安助兵まて

尤之由被仰候と 御切紙とりこされへく候 二郎殿もそれにて

関越ヘ可申候 小但ヘ能々談合候へく候 恐々謹言

        六月卅日 匂左  直興(花押)

                   (上書)  自駿府

 ほう田の禰宜とのへ 匂左近

        まいる

 

 

②匂坂直興書状(永禄十年1567)12月28日

 

月はくニ候而無御披露候ゆへ 当年相澄候ハす候而

此方ニ而越年候 さりなからかわる

儀候ハぬ間 可有御心易候 就中儀モ御そうしや

少モ隙なく候而 相とゝのわす候 小但と此方ニ而談合

申候 可有御心易候 何も此分御心得候へく候 よくよくそ

なたにて御おんミつニ候へく候 恐々謹言

 

        十二月廿八日 匂左近  直興(花押)

    祝田禰宜殿

         まいる

        (上書)          自駿府

       祝田禰宜殿 まいる 匂左近   

 

 

③匂坂直興書状(永禄十一年1568)1月25日

④匂坂直興書状(永禄十一年1568)8月3日

⑤関口氏経書状(永禄十一年1568)8月4日

⑥関口氏経書状写し(永禄十一年1568)8月4日

 今川氏真判物(永禄十一年1568)9月14日

         ~瀬戸方久への安堵状

 

 

世の中にはこれら文書についてしっかりと目を付けて尚、現代文に変えてくださっているすばらしい方がいらっしゃいます。

 

関連書面もありますのでそちらをどうぞ。そちらの方がわかりやすい!!

 

http://www.rek.jp/021

http://privatter.net/p/2032071