新聞紙上を賑わしている「不正」の文字。
みんなが大好き「正義」の正反対がその語ですが、まぁ当家にはご先祖にそれを名のる「正義さん」がいますので(ちなみに私の祖父の名は「匡」で「ただし」)、一応は生き方として「正」の字について意識はしていました。
しかし最近になってはこの「正」ほどイイ加減な語はないと思いつつあります。
小学校入学同時に覚える字で簡単かつ親しみ深く小さいころから「そうあるべき」生き方を表わしてもいました。道徳の授業はそれが基本でしたしね。
ところがだんだん齢を重ねていくと、自分なりの勝手な「正」が醸成し、そしてまた育まれてきた「正義」などはカンタンにかなぐり捨ててその人の一番に信じることに奔走するようになります。その信心とは「カネ」。
昔の人は「一所に懸命」に生きたものですが、最近では「一生をカネに懸命に」生きることこそが一義と変化しています。
要は「正」に非ずことであっても「自分(たち)が正しいと思えば正しい」・・・これは馬の肉を鹿の肉と言わせる逸話と同等の「バカ」の一例。
今「不正」の文字は「神戸製鋼所」という日本でも有数な一流企業に浴びせられている語です。「商工中金」などもまたぞろ不正をやらかしていたとのこと。
ホントのところ会社ぐるみの不正とはいいますが、内部ではみなさん外部に漏洩させないことを含めてそれこそが「正義」とされていたことでしょう。
バレちゃったからには何とかしなくちゃあね・・・。
「神戸」さんは各ハイテク産業での需要があるようですが、発覚後の「安全に問題ない」という即答に根拠があるのでしょうかねぇ。
消費者を黙らせられればヨシなのでしょうが、海外の安全基準は厳しいですよ。会社にリコール弁済の耐力はありそうですが先のエアバックの件で潰れた会社もありましたから。
何が正義で何が不正義かわからない時代となっています。
技術大国として信用をウリにしていた日本もいよいよ不信が蔓延しているようでなりません。「不正は不信」です。日本離れは世界の潮流になりつつあります。
さて、先日は映画の「関ケ原」について少々触れましたが家康の陣場、桃配山でのフィクションについて。
時代劇進行上、どうしても欠かす事のできないのは「忍び」。
彼らの呼び名は色々ありますが、その「語り」によってお話を進めていくやり方は時代劇の常套です。
この映画でのそれは伊賀忍者にスポット(よってその辺りすべて架空)が当てられていましたが、実際に家康が戦に連れ歩いていた阿茶局?・・・と錯覚させられる(ストーリー中「阿茶」の名を賜る)忍者の女(劇中「蛇白」の名)が居ました。
彼女は家康を殺そうと裏切って斬り込んだ忍者を抑え込み、自らと暗殺者を一緒に刺し貫くよう家康を促しました。
結局その「蛇白改め阿茶」は暗殺者の忍者とともに絶命しますが家康は事なきを得たという設定でした。
この手のストーリーはよくありますね。
「自らが犠牲となって他者を助ける」という気概ですが、この生き方は古来より日本人の心に親しんできた仏教思想ベースの考え方に他ならないと思います。
今はといえば・・・言うだけ野暮。
「私が私が・・・と他を引きずり落としてまで(カネと名誉のために)生きよう」とすることが主です。
昨日まで2日間平野三郎右衛門重定の英雄譚を記しましたが、彼のその地元の雄としての名に華を添えたエビソードが伝わっています。
それは昨日ブログても触れましたが、武田方「川合助九郎直澄」との一戦です。
平野重定夫妻の墓域には隣接して彼の妹の「おこん所」の供養塔が立っています。①の石柱にもその名がうっすらと読み取ることができますね。
その「おこん所」さんの供養塔には銅板の「おこん所略伝」が設置されていますがその内容をざっと記せば・・・
天正元年12月31日の夜に加茂の砦に甲州勢の一部が奇襲したこと。敵将川井直澄は城中侵入したものの劣勢。重定の槍術の反抗にあって身が危うくなった際、重定の妹の「おこん所」を捕らえて盾にしたそう。
十八歳の「おこん所」は躊躇する兄に向って「我と共に討ち給え」と・・・
ということで2人ともども槍で貫かれ、おかげで武田勢排除と家康への面目が立ったということですね。
「おこん所」の隠れた悲話があったからこそ重定は地元ヒーローになり得たと言ってもいいのかも。
尚こちら大円寺には「白蛇弁財天」がありますが、この「白蛇」といい、関ケ原の「蛇白」のフィクション、そして若き娘の献身はこちらにヒントを得たのかも・・・と思った次第です。
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