昨日の相良は夏日。
なんやかやでちょいと境内で動けば汗がにじみます。
イラっとさせられるのは蚊のあの羽音とあとからやってくる痒み。盛夏のころは蚊の活動も沈静していますが、あ奴らも人間同様、心地よい季節にいよいよ活発となります。
消費しきっていた蚊取り線香を慌てて買いに走りました。
それにしてもサッカーの親善試合、ハイチ戦はお寒い結果でした。若い衆主体の構成でしたが、アレでは監督の配慮も台無し。
みんな「私が主役」の意気込みで点を取りに行く姿はイイのですが、相手ゴール真ん前での勝負を急ぎすぎ。
何故にして外を使わないの?とあまりにもワンパターンの攻撃に歯がゆさを感じました。失礼な物言い、お許しください。
この二試合のお相手での日本の総得点は5~8点は固いのでは・・・と思ったのが普通ですね(しかし現実はハイチ戦3-3 ニュージーランド戦2-1)。
欧州予選ではオランダの敗退が確定しているといいます。今の日本のお粗末な姿ではW杯で目の肥えた観客を唸らす事はできませんね。
そういう意味では評価としては「ボロボロ」、入場料を払って観戦した方にお気の毒を感じました。まぁ選手御親類とお友達関係でしょうが。
ボロボロといえば「どうすんの?」と思わせる墓がありますので記します。
こちらは昨日と同様磐田泉蔵寺。
大石・渥美の墓があるのは一般の墓域の中ですが、こちら墓碑群は本堂の真裏になります。
以前訪れた時とは変わりはありませんでしたが、やはり一見したところは「相当危うい」を感じました。
要は風化崩壊が進んでいるということです。
「形あるものはいつかは滅ぶ」はこの世のならいでもありますから、こちらもしょうがないといったらしょうがないこと。
ただし文化財という観点からの保存を鑑みるに、これでいいのかな?という疑問は残ります。
墓石の主はこの地区では古くから名のある「秋鹿」(あいか)氏です。
墓石は五輪塔形でズッシリ感はなく背が高くて逆に不安定な感じを醸し出しています。これは上部、風輪・空輪がやたらとデカイこと。他に火輪の隅が立気味で宝篋印塔のそれを感じます。
要は江戸初期の大名墓(遠州では大須賀・大沢)を踏襲しているような感じがしないでもありません。
同時期製作にもかかわらず風化崩壊に差異があるのは当時の石材選択の誤りでしょうね。
当然にコストの違いが質の違いになるのでしょうが、鉄分含有が多いと後世になっての酸性雨も相まって赤化して崩落したり、密度が甘いとカビ等が内部にまで蔓延って水分が入り、早々に砂に帰すことになります。
新旧数基の同様の墓が立っていますが、「地震が来たらどうしよう」と思わずにいられないような危険を感じます。
手前から3つ目で一番崩壊が進んでいる石塔が秋鹿朝正の墓といいます。「朝」は秋鹿家の通字です。
元々は出雲国の宍道湖と日本海に挟まれた「秋鹿郡」という地から発して、鎌倉期に主家を源家として名をなし、足利尊氏時代になって地頭として遠州に入っているようです。
秋鹿朝正は兄に朝忠という人が居ましたが父直朝が亡くなったあとスグに兄も亡くなったために家督を相続しています。
若いころは兄がいたため一旦母方の家に養子に出ていますが先方で子供が生まれたために家に戻っています。
徳川秀忠に仕えて1600年の関ケ原の別働、信州上田城攻めに参加しているといいます。
出雲出身の武家、名家らしく神職も兼ねて代々代官職を継承されていたようです。
法名「俊光院殿雄嶽仙英大居士」の名のりがあるからには葬儀は仏式なのでしょうね。
まぁロクにしらべてもいませんのでよくわかりません。
①画像は昨日の拙寺境内。あとは泉蔵寺。
コメントをお書きください