三重県菰野中心に諸岡姓が多く見られます。
先日菰野で購入したお米の生産者諸岡さんを見てあの名前がホントなのか調べてみようと・・・。
「農家の芸名」はさすがにナイ、とは思うもののこの目で確かめてみなければわかりません。
「諸岡」姓では塚原卜伝の弟子とも言われる「諸岡一羽」という剣豪がいますが、彼の出自は美濃の土岐流といいます。
いつもの勝手な私の推測ですが土岐氏離散の際にあの鈴鹿山脈東麓に移り住んだ・・・などと考えたりしました(思い付きです)。
そして調べてみると何よりあのお名前の件、実在していました。
疑り深くて申し訳ありませんでした。
さて、先日記した金剛界四仏について追記。
東-阿閦 (あしゅく)、南-宝生、西-阿弥陀、北-不空成就の四仏の中心に大日如来がいるという密教の思想で、それらの仏を代する梵字(種子といいます)は宝篋印塔、五輪塔巡りをしていれば結構に遭遇頻度が高いものがあります。
この「金剛」(直訳 ダイヤモンド)という語は当流の正信偈に出て来る文字の感覚としてただ「堅固な(・・・信心)」という意ではありますが、通常この「金剛」とはまず「密教」をイメージする語であって(「密教」=「金剛乗」)意味としてはやはり「堅固」を表しています。
昨日は恒例の当地の介護老人ホームへ相良仏教会の慰問がありました。今回は私に法話らしきことをするお役がありましたがそれにタイトルを付けたとしたら「おてんとさん」。
中身は支離滅裂な私の思いをいつも通りにつらつら語ったワケですが、五木寛之の「親を思えば夕日を拝め」等を織り交ぜながら、流れで東のおてんとさんはお薬師さん、日没(西)のおてんとさんが阿弥陀さん・・・などと口走りました。
このお薬師さんとは薬師如来のことで日本人なら我らの一向専念=阿弥陀如来とともに「知らない」「聞いたことない」などという人はまずいらっしゃらないでしょう。
ところが実はこの東方の盟主と言われる薬師如来は実は野球でいえば「代打」といった仏さんなのかも知れません。
私如き他流の事に疎い者が記していることですのでその表現はお許しいただきたく思いますが、「金剛界四仏」の通り、大日如来中心世界から見た東方の盟主といえば「阿閦如来」なのです。
今、現世利益仏教の中、庶民に「わかりやすく親しみやすい」仏としてメジャーとなった薬師如来ではありますが、古い時代の密教学説内では「東」といえば「阿閦如来」コレ当たり前だったのです。
何故に庶民の記憶から消えていったか(おそらく100人に聞いて100人の方が「知らない」と言われそう・・・)と言えばそれは密教というものの秘密仏教や国家、貴族世界中心での教学であったことと仏像その他の具象化したものでさえ「秘仏」として人目にさらされなかったことが原因なのかと思います。
皮肉なことにただでさえ「阿閦仏」単体で鎮座することが珍しい仏像であるところにきて「秘仏」として姿をみせずにいて、挙句に火災で焼失してしまうという結果がその仏の定位置を薬師如来に譲った原因でしょうか。
ちなみに阿弥陀仏が鎌倉以来、庶民文化に浸透していき、現在なお西方浄土の主人としてあるのは「隠れることなく」「いつも近くにいる」ことを主眼にした教えと、宗旨教化の施策も「易行」「庶民」を対象としたからに相違ないでしょう。
仏教発祥地では阿閦仏は阿弥陀仏より古くから信仰があったといわれますからね。
勿論「阿弥陀経」の主体は阿弥陀如来ですが、その経典には多くの阿弥陀を讃える仏たちの名が記されています。
「東の筆頭」として(当然の如く)「阿閦仏」が出てくるのです。そして薬師さんは不在です。
①は阿弥陀経から。
東―南―西―北の順序はお決まりです。「東」から始まりますので将にトップバッターです。
②③は相寿園にて。今回から入館に際して手洗いとうがいは厳重です。今年のインフルエンザの流行は早いそうでまた、対症薬剤も欠乏しているとのこと。厳重に対応しなくては・・・
下図は平安期に記された阿閦仏(ウィキより)。
座位の右手の印が特徴です。
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