そろそろ息子を京都に送りに行くにあたって、念頭注意を要することがありますね。
高速道路の通行は不可欠ですが、世間ではやたらと事故が多いよう。いつものことですが長距離の高速道路の移動は気が重くなります。
人間は人それぞれの性格がありますし、技量やその時の心の動き(イライラorのんびり・・・)のタイミングによって状況は違います。そこへ来てうっかりミスや居眠り、そしてスマホの件などもあって最悪、事故につながってしまうのですがそれらの各人々が心身状態ごちゃ混ぜになって走っているというのが高速道路閉鎖的空間。
こちとら、まともに走っていたとしても(齢は重ねてピンぼけ増していますが)そういう現場に遭遇してしまう不運もありますし、やはり一番に「無常」と隣り合わせを感じるのが「道」なのです。
また当局の取り締まりにあって罰金を支払うというのもどうしても精神衛生上イイものではありません。
息子の助手席に居て今一番に強く言っているのは「追い越し車線を漫然と走るな」です。
コレはしばしば速度超過に繋がってしまいますが、世間ではその件、取り締まりの対象になる事を意外に知らないということ、そしてその取り締まりの判断が曖昧で明確でないという、より消化不良の結末を招きます(警察官のその時の判断・気分にて)。
よって前の車両と一緒に追い越し車線をただ走っているだけで「取り締まられるのはオマエだけだぞ」と脅しています。
道交法では「通行帯が2つある道路では左側の通行帯、通行帯が3つ以上ある場合には一番右側以外の通行帯を走らなければならない」と決められていますのでそれを根拠に取り締まりが行われます。ちなみに高速道路上の取り締まり件数の第2位です。
これはスピード違反の場合はスピードオーバーの数字を提示して証拠としますが(慎重性を要する)、「追い越し車線に入って追い越ししたのちに速やかに走行車線に戻らなかった」「漫然と追い越し車線を走っていた」という事実を突きつけられたら文句の言いようがありませんからね。
まぁ調子に乗ってスイスイ走っていたらロクな事がないというワケで。
さて「四苦」(生老病死)についてはコレ、人生をおくるうえでの「付き物」、人間付帯事項ですからたとえ折角の「成功」の足を引っ張ったりその人の目的を道半ばで頓挫させてしまったりの件、これだけは「縁」としていただくほかは無いでしょうし受け入れるのみ。
仏教の伝える「無常」そのものですからね。
そしてそれ以外、人生やその道を踏み外したり、大失策、後悔しても後悔しきれない態様に陥る「その時」の状況というのが大抵は自身によって惹起されるという標記。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」なるビスマルクの放言を聞いた事がありますが、コレは端折りすぎた語かも知れません。
「他者はバカで自分は利口」風の言い回しにちょっとした嫌悪を抱いてしまいますが本意は「自身の経験のみによってその道や未来を判断するよりも多くの過去に生きた人々が繰り返してきたこと(歴史)から学んだ方がイイ」ということでしょうから案外その語は私としては合点のいくものとなります。
では歴史は何を私たちに教えているかといえばいかにもカンタンでそれは昔から私が先生たちに言われ続けた語です。
それが「お調子にのるな」です(信長も秀吉も・・・その他大勢)。
私は子供の頃にそれを言われ続けて成長しましたがこの語は大人になるにつれて聞こえる雰囲気が違ってきます。
それが、つけあがる・増長する・驕る・傲慢、慢心になる等々「自己過信」という宗教世界にいてサイテーの烙印を押されるような酷評のレベルとなりますからね。
そういうことでこの手の態様は身を滅ぼすことが鉄則であるということを知らせていることがわかるのでありますが、「歴史」はその手の「失敗」の繰り返しを教えています。
今でいえば政治家の類がその代表格なのでしょうがみな学習できていないというか歴史というものを生かしきれていないのです。大先生がそこにいらっしゃるのに・・・
表記「敗事多因得意時」は中国の故事。
読んで字の如く、いたってわかりやすい。
ただし先日その字のどちらかで見た解説に「恚」の字に「志」をあてていましたがそちらは少々意味が違うかも。
まだ瞋恚の「恚」としてそのまま「怒り」として解釈するのもイイでしょうがここではスンナリ『「得意」の時』。
実はこの語は対の語があってその前に
「成名毎在窮苦日」が付きます。
「成名毎在窮苦日 敗事多因得意時」で一つのことわざ。
昔は「名を成す」ことは人としての一義でしたのでこの言葉は致し方ないでしょうが現代にいたっては「敗事多因得意時」こそが一大事となる訓ですね。
失敗はまま得意の時に因る・・・。
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野村幸一 (木曜日, 21 9月 2017 01:33)
私、運転に自信がない(というか少々トラウマのようなところがあり高速道路やバイパスが怖くて走れません)
ので日常的には近所を少々走るだけ…とはいっても昔は普通に走れたのですが。。
実は今日、急遽自由に動くことができ相良へ行きました(奥には内緒)般若寺に例のお墓を探すのが主な目的だったのですが…見つかりませんでした。何と無くコレ?というお墓はありましたが、戒名のみで◯◯家とも書いてなく江戸時代とも思われる古い墓石のみでしたので何をしに行ったのか…という結末。
たしか、小堤山公園に胸像がある!と思い出しググりながら到着するもそこには本多氏の墓域でした。
しかし、公園から更に小高い丘を登るとなんとも鬱蒼とした林の中に朽ちかけの神社?と思われる建物が!その傍らには石碑と仏像のような供養塔のような不思議な一群が。いろんな人の名前が彫られているではありませんか。野村呉服店の三代目の藤吉や乃庄の先先代の名前も。更にその近くには戦没者の供養塔に賛助した人の名前を記す石碑もあり、そこには当家二代目の野村庄太郎と本家十代目の野村文平の名前が彫られておりました!
思わぬところで、先祖の名前と遭遇し来た甲斐がありました。でも、薄気味悪い場所でしたね。。地震の影響でしょうか?大きな石碑は倒れていました。
その後史料館に向かったところ、名波さんという方にとても良くしていただき資料室でしばらく見させていただきました。ですが、特にコレ!というものはありませんでした。相良幼稚園横の墓地も行ってみました(ここが陣台山?)砂浜の砂が敷き詰められた感じで変な感じでしたが行くのが遅すぎたようです。
相良に親戚も一応いることはいますが、気軽に寄れる感じでもないので狙った場所をサクサク見て弾丸で帰りました。
やはり野村姓のお墓は大澤寺にしかないと改めて実感しました。
まさに今日は墓場放浪記でした
今井一光 (木曜日, 21 9月 2017 06:38)
ありがとうございます。
相良に来られたのですが。大変でした。
小堤山の墓碑群は承知していましたが銘記されている名までは確認したことはありませんでした。朽ちかけた神社のある場所が私の相良城当初の予定地推測の候補としている場所です。
陣台山は山と言いながら山になっていません。150号線の開通で壊されています。
北側の丘陵が津波避難地と化しています。
萩間川を渡って相良街区に右折していくその150号線の右折しないで100mほど行った
海側の今は整地された墓地をいいます。
野村幸一 (木曜日, 21 9月 2017 07:12)
庄太郎の名が彫られているのは戦没者 秋野文右衛門という方の慰霊碑のようです。
野村幸一 (木曜日, 21 9月 2017 08:12)
陣台山、間違った墓地に行ってたかもしれないですね。横に相良幼稚園と神社がある場所に行ってました�
今井 一光 (木曜日, 21 9月 2017 19:42)
ありがとうございます。
了解しました。
相良に来られた時は気軽に声をかけてください。
大抵は暇にしていますので。