風は強いが気持ちのイイ秋晴れ。これが台風一過というヤツですね。雨も大した降りはなく当地色々無事のよう。
どうにか相良の祭礼は終了していましたがどうこう言いながら大した雨にもならずイイ塩梅に過ごせたようですね。
それにしても小堤山という耳元であげる花火の爆音は何とかしてほしいものがあります。
意味があるのでしょうかねぇ、中日は5~6回は打ち上げていました。
「十分告知されているんだからもういいよ・・・」という感じ。
昨日は私の思い出深い「井蛙」の現場を記しました。
この小田原陸上競技場の直近、東に降りる道を下ってから出たところを右に、再び右方向に上がったあたりは小田原高校前のテニスコートの下方という位置関係になりますが、その地点は北条家一統「香沼姫」の屋敷址推定地といいます(場所はこちら)。
10坪強のスペースに祠が一つ。彼女の墓のようです。周辺には
石塔・石仏等が無造作に。
私は中一までこの台地の東端の城山中学校に通っていましたが同級にY君という人がいました。御先祖は「北条の姫様だ」と吹聴していることを友人から聞いた覚えがあります。
どうせハッタリかヨタ話の類だろうと思っていたのですが北条家には謎の姫様の伝承があって、今更ながらそんな話もまんざらではないのかも・・・などと思っているところがあります。
尚、ズバリ北条姓を名乗る家も散見されていました。
姫様はそもそも北条氏綱の娘説もありますがその名は正式に出てきませんのであまりアテになりません。
まぁ文書に残っていないからといって「違う」とは決して言いきってはいけませんが・・・。
家として正式に承認されていない子供があったと解すこともできますので。
しかし当時の大名クラスとしては子供はたとえ女子であっても政略結婚用としてスペアとしていくらでも需要はあります。
必要あらば家臣の子を一旦自分の養子にして当家縁組して婚姻させることまであるくらいですから。
よって「姫様」と呼ばれていたならばやはり一応は「姫様」だったと信じるのがスジ。婚期が遅れて行きそびれたの類か・・・
しかしこの姫様は生涯一度も婚姻を結んだこともなく小田原で一生を過ごしたとも伝承があります。
いづれも言い伝えどまりですが婚姻してないのに何で子孫なのだ・・・と思うところなのでもあります。
言い方は悪いですが、「墓守」発祥の家系というものは名家にはつきものですので、おそらくその手ことを言っているのかも知れません。
一昔前まではただの丘の斜面でしたが新興住宅地として分譲されています。江戸期の文書にもそのY君の苗字が出てきますのでおそらくその屋敷、墓域の管理を任されていたのでしょう。
私設個人管理の墓域というものは往々にしてその手のものが多いですね。
移動撤去しないだけマシなのかもしれません。
最期の画像、鋭角に道を上がります。
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小山昭治 (火曜日, 19 9月 2017 11:48)
花火はお渡りが出先?のお宮へ到着、出立の合図です。
津島様、大和様、お休み処、それぞれの到着、出立です。
それと飯津佐和神社の出立と到着です。
合計8回かな。
花火の音が嫌いな犬や猫は困るでしょうね。
今回 私は氏子としてお宮にずっといたのですが
花火の音で今どの辺だ、と言うのが分かるのです。
結構「いまどこでしょうか」などと聞いてくる人が
意外と多いのです。いい目安です。
今井 一光 (火曜日, 19 9月 2017 15:13)
ありがとうございます。
初めて知りました。
まるで戦さ場の狼煙のようですね。
アレに意味があったとは・・・