ここのところ2回ほど、お寺の手伝いをしたいという方が訪れました。
勿論日当をお支払いするものですが、奥方の顔は少々渋めになります。
要は私たち親子(息子もまだいます)で行えば給金の支払いは発生しないのですから余計な出費とはなります。
そして何かの作業を手伝うといっても素人さんですからいたって作業は限定的になります。
昨日の方などは「木には登れません」でした。
ということで、昨日は「墓地の掃除」を依頼。
そもそも墓地の清掃に関しては墓地所有の方におまかせし、上部を覆う大木に関しては寺で・・・というスタンスですが、その方はやれること限定ですから致し方なし。
奥方が言うには「断ることも肝要」・・・とまぁそれも的を射ている談とは思うものの、寺としてはこれも一つの「縁」ですからね。
「もう二日やらせてほしい」と帰り際に。仕方がないので近所の檀家さんに連絡して
「草むしりのバイトいりませんか? お寺の軽トラ貸し〼!」と彼をセールスしてあげました。
この間見たコストコのバイトが1250円/hでしたが私のところでは800✖8h+昼食付きです。これが限界。
その檀家さんは了解してくれましたが紹介したからにはまともな仕事をしてもらわないと・・・
さて、本日も掛川の西郷。
西郷の局の生誕地構江に観音寺廃寺址がありますが、今は「構江遊園地」という名称のよう。「平塚」なる古墳群のある丘の麓になります。
昨日同様、看板記述の文言が溢れていますので、私の能書きは割愛。
疑問としては観音寺なる石ケ谷家菩提を弔う寺院がそう簡単に廃寺になるものかというところ。近くの霊栄大明神神官を石田家が継承しているようで、神道への変更があったのかも知れません。
西郷局の従姉妹(忠春の妹)「於國」といわれる墓もありますが、ばっと見て荒れています。
特に一番目を引く大きさの宝篋印塔+五輪塔の積みの様子はいかにもやっつけ仕事の様。
外見上もあきらかに異質なものの組み合わせと考えます。
バランスも悪すぎですね。
上下の安定性は製作者が一番に傾注するものですから。装飾や銘はその次ですね。
野村氏から「実際に九つの石があるが草ぼうぼう」とのところ、私が決めつけてしまうのはいけないこととは思いますが、後世の演出があるような気がしてなりません。
看板の地図右下にその石の件が出ていますが、昭和36年に古墳から発掘されたとあります。
城郭大系は昭和54年の発行で静岡担当の学者が「見つかっていない」と断定していますね。
そもそも「古墳から発掘された」では古墳時代以前まで遡ってしまい、かなり端折ってしまっているという感は否めません。
如何でしょう。
私は土地改良があったということでまったく不明ではありますが、この平塚山周辺にかつては「九つ」の古墳があって、その古墳を「石」と呼びその麓の谷を「石ケ谷」などと・・・考えた次第です。
この古墳群のある台地を「平塚砦」とも呼ぶようです。
画像に掛川城が見えますが、言うまでもなく新しい方、古城は左側の小山ですね。Googleの航空図を見れば上部の殆どが茶畑に改変されていることがわかります(場所はこちら)。
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