以前からもこうだったのか・・・と首を傾げているのが今の境内の蝉の声。クマゼミの早朝からの大合唱の件は盛夏の候お知らせした通りですが、今は既にそれはなし。
まったくクマゼミが居なくなったワケではありませんが静かなものです。
それに代わって只今の主役はミンミンゼミ。
横浜に居た時はミンミンゼミの声ばかりが聞こえてきましたが(クマゼミ少なし)、夏の両主役は微妙に生態が違うのでしょうね。
8月の悪天候のせいで海水浴場の客が20%減とニュースでありましたが、そんな状況でご商売が成り立つものかこちらも首を傾げたくなりますね。
そもそも「ボクら」が相良含めて海水浴場なる所に行く際は「海の家」系施設の使用機会はゼロ。海水浴場で皆と遊ぶなどの思い出はありますが、立ち入る事はありませんでした。
なぜならおカネが無かったからですが、成長後は海で遊ぶことばかりでしたが一時は「イモ洗い」の如く形容された海水浴場などは禁忌として近寄りもしませんでした。
海の家の利用は家族連れの海水浴客限定の施設なのですね。
ところが「海水浴をする家族連れ」は今や絶滅危惧種。
遊びのバリエーション多々と美白と健康ブームが仇になってますますビーチは閑散。
相良の人々は昔の砂浜の様子が頭にこびりついていて「いつかまた」の気持ちで頑張っている方々もいらっしゃることと思いますが、現状は厳しくなるばかり。
子供の絶対数が不在ですしゲームやアニメの主人公にバーチャル恋愛、この国の滅亡の道を一直線。どうにも止まりませんね人口減少。
アジアの大量難民問題、「ロヒンギャ」へ手を伸ばしていただきたいものです。アジアの盟主を自負する日本なら。
さて、昨日は木村重成の首塚と佐和山城門移築の赤門、三成の御持仏・・・と彦根が彦根城と佐和山城だけではない奥の深さというものを感じる宗安寺について記しました。
木村重成についてブログでは幾度か記しましたが、彼が亡くなった場所といえば河内は若江の地でした。その若江城址の碑の道路を挟んだ向かいにある美女堂家の石碑について記しましたがそちらと「掛川」との関わりとして最後に無理やり「美女」「美人」と連想させて「美人ケ谷」(石ケ谷)の地名を出していました。
いつかはその地について記そうと思っていましたがかなり放ったらかしになっていましたのでここでも無理やり・・・
掛川の「美人ケ谷」は知る人ぞ知る掛川の地名です。
そして掛川城から見て北に位置し美人ケ谷城があります(場所はこちら)。
掛川城北門の交差点をそのまま北へ。バイパスでいえば西郷I.C.です。
月並みな発想ですが美女とか美人などと言われると、どうしても私共男どもは興味津々となります。
さぞかしやんごとなき麗しい方々がたくさんいらしたことを想像してしまいます。
西郷といば西郷局。きっと美人だったのでしょうね。
また西郷氏は遠州群雄割拠の時代、資料は少ないながら「遠江三十六人衆」に名を連ねる国衆の一人。
この城は石谷城とも呼ばれていますが一説には西郷氏と関わる石谷氏が入ったからだとのこと。
城郭大系の標題は石谷城(いしがや)。「殿垣戸城(とのがいと)」「美人ケ谷城」が別名になっています。
遠江石谷氏史料初見が家康が石谷政清に出した所領宛行状で彼の出自の件、寛政譜では行秋を始祖としそれを継ぐ行晴を西郷民部少輔某(夫人は行秋の妹)の次男で
「行晴幼にしてその母死するにより舅(母方のおじ)行秋が養子となりて其の家を継ぐ 文明十六年(1484)死す 年六十七」
政清は行晴から三代の孫で石谷村に居住し、二階堂改め石谷氏を称したとのこと。
そして永正三年(1506)の今川氏親の命をうけた伊勢宗瑞の三河攻めの際に石谷氏の名が無いことから石谷氏は政清を祖とする永禄年中からの呼称が推されているようです。
勿論三河攻めの際には西郷の名があってそれが政清の父の清長のようです。
こちらのお城は山本神社の手前に車を停めてあがります。
標高は100m程度と見渡しのイイ「丘」程度。3つの郭に区切られています。南側の掛川城方向の眺望が特に開けているという感がありました。倉真川とそれに流れ込む支流(法泉寺川)を天然の堀に駆使した天然地形を利した城です。
当然に冬場の風景となります。何度も記していますが夏は忙しいということもありますがまず城遊びには出向きません。
それが不健康に直結するということになります。
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小山昭治 (金曜日, 08 9月 2017 08:49)
クマゼミが多いのは温暖化の精じゃあないでしょうか。
川根本町へ行ったとき、役所の職員が「昔は、ミンミンゼミばかりだった。
この頃はクマゼミばかり」
涼しくなるとミンミンゼミ、暑いときはクマゼミ。
だから全体が温暖化していると言うことですね。
野村庄右衛門幸一 (金曜日, 08 9月 2017 10:16)
石谷氏登場しました!
石谷政清の父親、祖父のあたりは二階堂や西郷の名前をその時々で使い分けてたのじゃないか?と石谷氏研究のホームページに記されて在した。
私の祖父「しーちゃん」の母親の実家は石谷氏の居館跡に今も住む石田家です。石谷氏の霊栄神社を祭祀しております。調べると江戸時代中頃に石谷氏から石田氏へ名字を改めたそうですが、いつ誰から変わったのか?誰の系統なのか?がさっぱりわかりません。ただ、同じ石谷氏でも北町奉行だった石谷貞清の系統のみが祀られていることからその系統と深い繋がりがあるのかと思っておりますが、不明な点がかなりあります。
今井 一光 (金曜日, 08 9月 2017 19:28)
小山さん
ありがとうございます。
温暖化は「フェイク」と得意になっているアメリカ大統領殿、
温暖化としか考えられないような巨大台風の連発をどう思うのでしょうかねぇ。
今井 一光 (金曜日, 08 9月 2017 19:30)
庄右衛門さん
ありがとうございます。
石谷氏の霊栄神社の件、今度ぶらついてこようと思います。