京都盆地の中心地は人家が密集していますが周囲(南を除いて)山に囲まれています。よって東京の都心とは違って猪や鹿が出たり猿が出たり・・・。
かなり「自然が近い」というところが感じられます。
都市であって自然が身近、その空間に流れる文化に憧れて世界から人々が集まっているようですね。
私の「気持ちは京滋」のところは変わりませんし、常に時間さえあれば「当地を出奔」する用意はありますが、現在のところ自嘲気味。
まぁ雑用の類は山積していますから致し方ないのですが。
その京都、誰がクレームを言い出すのか「市内バスが外国人観光客のトランクのせいでやたらと不便」と。
その話がそうだそうだと広がって、バスターミナルに立たせた担当者にホテルまでのトランク配達サービス(別便)を勧めるようにしたといいますが、ほとんどその提案は受け入れられていないようでその策不発の様。
ブログにてかつて記した通り、四条河原町は一車線化して観光バスの進入を締め出しました。そのために四条通は大混雑に至ったということと一昨年の拙寺バスツアーでは皆さんを河原町のホテルまで烏丸通に停めたバスから歩いていただいたことを記しました。
その時は観光立国の大本命たる京都の主張は歩行者優位の町づくりでありこれも外国からのお客様への配慮のひとつと納得していました。
ところがこの「バス乗降時観光客のトランク大迷惑」の雑音とその対案について甚だ疑問に感じました。
まずは「何が観光立国だ」です。
おカネを落としてもらってホクホクではなかったのでしょうかねぇ。
「おもてなし」を吹聴しておいて今更「迷惑」だなんてまったくおかしな話です。
まぁ他にも外国人観光客のマナー等を言い放ち(私たち自身の過去と現在の実を棚に上げて)鼻高々に道徳論を掲げての権利の主張とはまさに笑止千万ですね。
そしてバス車内へのトランクの持ち込み。
それは今になってコントロールはムリでしょうし如何にも無策でした。
市内循環のバスにトランクルームはありませんしね。
だいたいトランクの別送など、ターミナルで直接告げられてもそんな言葉を信用する人は誰もいないでしょう。
海外の感覚では荷物は「肌身離さず握りしめろ」が常識ですから。
私でさえ外国に行ってバス待ちをしている際に「その重そうな荷物をホテルまでお運びしましょう」などと言われて「ハイお願いします」にはなりません。「いいえ自分で持ちます」が一番の安心ですから。
旅行者は異国で気軽に荷物を預けられるという気楽さはまずないでしょうね。
ツアー客が格安の循環バスで移動することを思量していなかった京都市の失敗でしょう。
バスを増便するなりして対応しないと、「おもてなし」の意義は何かと吐き捨てるように言われてしまいますよ。
掛け声だけでガッチリ儲けられるなど虫が良すぎます。
さて、ガッチリ儲けて貯蓄したカネというものは「信用」のシステムが確立した現在は最寄りの金融機関に預けておけばそれで「安心」の二文字を得ることができます。
しかし何から何まで不安定な時代において、確実にそれを維持できる場所と言えば「土の中」でした。
今でいうタンス預金のようなものでしょうが、手元にあるというだけで不安要素は多分にありますね。
尚2017年2月末時点で日本のタンス預金は43兆円といわれますので、未だその「土の中」と同様の事は行われているということです。
災害で流された家の中から出てきたもので多いのが「お札」といいますか、如実にそれを表しているのかと。
人為的災禍から財産を守るには「土の中」は、いかにも最良の隠し場所でしょうが、何せ当の本人の「記憶とその存在」こそが「土の中」のお宝を担保しますのでこの世には時折、土中よりお宝出現の話が出て来るというワケです。
埋めた本人が亡くなれば「土の中」については誰も知る由がありませんからね。
こちら相良でも各所でお宝発見のニュースは耳にしていますが「土の中」の件では平田地区の畑の中というのが有名な話のよう。
井平城(こちらまたはこちらも)の麓の畑の中から昭和15年に5000枚の銭貨が出てきたと。
お宝発見の報は楽しくワクワクしてきますが(通貨としての価値は無価値化し骨董価値は微々たるもの?)、どなたがどういう経緯でそれを土の中に収めたのか・・・それを想像するとまた楽し。
いつ頃の時代のものか詳細はわかりませんが、武田に蹂躙された地でもありますから、それを考えると納得できますね。
上記銭瓶出土の地は伊平保育園の裏側の段地(場所はこちら)。
城の南麓にあたります。
③は拙寺の昔からのタンス預金。1000枚くらいはあるかと。
整理すれば面白いかもしれませんが、手を付ける気になりません。また昔から墓場に銭を隠すというのは常道ですから、古い墓を改葬する時に顔を出すことがあります。
おカネはしっかり金融機関に預けて、なおかつ遺言を記しておきましょう。
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