日曜の大河ドラマはこれまでの流れから見て、「らしくない」展開を見せていました。
小野政次の刑死の描き方の意外が専ら。
昨日も少々記させていただきましたが、本日も少々。
というか番組はそろそろ終盤にかかっていますので画像UPは今のうちにした方が気が利いていますし・・・。
劇中会話にて政次と桶狭間で討ち死にした彼の弟の小野玄蕃の奥方との会話にて「ひよんどり」の語が出てきたと思いましたが、おそらくその名について視聴者の殆どの方は「何の事やら」とチンプンカンプンだったかも。
それは以前ブログにて記しました川名の福満寺薬師堂の「火踊りまつり」のことですね。
番組として地元への心配りが為されていることを証した一場面でしたが、川名といえば上記に同時に記した井伊直平菩提寺の渓雲寺や「おみたらしの井戸」があります。
その「目と鼻の先」に鉄筋コンクリート製ではありますが「鎧橋」なる意味深な橋が架かっています。
井伊家元当首で虎松の曾祖父の井伊直平はドラマでは「ナレ死」とインパクトある役回りだけに後味が悪い消え方をしたという印象でしたが、それは直平が実際にどのようにして亡くなったのかハッキリしていないからですね。
各説ある中、最もそれらしいその死とは、遠州のもう一人の女城主、飯尾連龍の奥方のお田鶴の方に一服盛られたというものです。
橋のたもとの掲示板には毒入りの茶を飲まされた井伊直平は「有玉にて落馬」して落命したと。
家臣の大石作左衛門という家臣がその死を隠すよう馬に載せて川名に連れてきてこの橋の上で鎧を脱がしたとの伝承です。
薬師堂から橋に下った図が①②③。
その背後の山に井伊直平の墓がありますが、そのさらに向こうが井伊谷方向となります。
川名とお田鶴さんがいる曳馬(浜松市街)は三岳山を越えたさらに南となりますが、この橋の場所で直線で至ったとしたら、三岳山麓を通る道が想定できます。
しかしその大きな山を越すよりも灰木の大平城を目指してから回り込むのが自然。
もしそうなるとわざわざこの橋まで降りて来たということになります。
あの山が井伊直平の隠居場であったというのなら話は別ですが・・・。
⑤は川を渡って振り返ったところ。
⑥⑦の街道が東向き、川の上流になりますが、浜松方向に向かうならこちらが最適です。
⑧が途中の道端で見かけた観音石仏。
最後の画像は市内「有玉」の駿遠お馴染みハンバーグ店「さわやか」。
尚、大河ドラマ第33回「嫌われ政次の一生」は「ドラマ@見とり八段」さんに詳しく記されています。
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くりくり (木曜日, 24 8月 2017 01:14)
お久しぶりです
ドラマは人気が高くて見ごたえがありますね
歴史を見る上は、想像力も大事な要素でしょうね
ひよんどりのセリフ突然出ましたね
寺野と川奈のひよんどり見たことがあります。
ついでに、剣の舞かなんか踊ってもよかったのに
素朴でよい祭りでした。
今井 一光 (木曜日, 24 8月 2017 07:20)
ありがとうございます。
各伝統行事に顔を出されているとのこと。
私はその場に出向いたことはありませんがくりくりさんの
多様なご趣味の方向には驚きです。
また、古くから伝わる「まつり」にはその地の人々の思いが込められている
ことは確かなことですから、番組の「振り」は粋なはからいと思った次第です。