「今、京都にいるんですが・・・」と昨日。
大谷祖廟に納骨に行かれるということは存じ上げていましたが、それが京都五山送り火のその日とは。
昨日の京都は東京あたりの不順な天候ほどではないそうですが、「降りそうで降らない」くらい、それほど暑さは感じないと別の報道で伝えていました。
昨年の五山送り火は大雨にあたって散々だったそうですね。
8月になると大気が不安定になって晴れが少ないという傾向は顕著になるのでしょうか。いやな傾向です。
私ども宗派に於いて盂蘭盆の「火」に関しては無頓着ですが、昔から京都のその日は他の洛中の祭り同様「行かない」と決めていますのでその日の京都観光を兼ねた分骨旅行の報せには「これはつわもの」と半ば感嘆させられました。
ちなみに内容は「故人の法名を忘れた」というものでした。
そもそも8月16日といえば毎年、聖衆来迎寺の「虫干会」の予定を入れていますが、ずっと何かしらの法務が入って成就できていません。そこからその日に比叡のお山を越えるなどというノー天気はあり得ないことと思っています。
なぜならば洛中は送り火でごった返しているからですね。
京都辺りで人混みに揉まれるなどあり得ないことです。
気持ちとしては「・・・危うきに近寄らず」の思い。
さて、昨今の「北と米」の道化の如くのバカ話にハラハラドキドキ踊らされた人は多少なりともいらっしゃったのかと思いますが(実は私も少々)、盆踊りの季節とともにその茶番劇は終焉かと。
まぁ策として時々頭をもたげることもありましょうが、「破滅所望」は口だけにしていただきたい。
さて、盆踊りの起源は空也~一遍の念仏踊りというのが通説。
そんな中、以前ブラついた近江の豊郷町に「近江音頭」なる語を見ましたがこちらは後世近隣各地に広がってこれが盆踊りの原形といわれています。
愛知川に近い豊郷町、旧中山道の千樹寺(場所はこちら)が発祥の地と言われていますが元は寺焼失という苦難を克服した慶事(落慶法要)を起源としているようです。
要は信長による近江侵攻によって千樹寺が焼けたことによってその復活再生を人々が慶び歓喜して踊ったということです。
有徳なる人の寄進もあって度重なる災禍も再建されてますますその風習が華やかになっていったと。
寺では8月17日に「観音盆」という盆踊りが催されているとのこと。
⑥は千樹寺の山号「日吉山」にちなむ山王社か。
周囲には仏石残欠が並べられていました。行基が手掛けたという伝承の寺は全国各ありますが、こちらの寺は「四十九院」(豊郷町にもその地名あり)の伝えがあって行基伝承の中でもそれに関しては私は納得しています。
行基がこの辺りに49の寺を作ったといいますが、千樹寺はそのうちの一つですね。
あの時は豊郷駅と役場もブラつきました。
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